寿歌

caltec2012-01-17



2012年の観劇初めは、シスカンパニーの『寿歌』。いやーエライ作品を選んでしまった。


新国立劇場 小劇場 にて、シスカンパニー公演『寿歌』を観劇。作品自体はどんなものか知らなかったが、シスカンパニー公演であること、出演者として、堤真一戸田恵梨香橋本じゅんが出ることの2点で、観劇を決めた作品である。


観劇後の率直な感想はという言うと、、、何なんだかわからないうちに作品が終わってしまい、観劇後も、あれは何だったんだろう? これは何だったんだろう?と各役の意味、台詞の一つ一つに思いをめぐらしてしまう、「とても手強い作品である」ということ。今、こうしてブログを書いている今でも、本作品に対しては「?」がいっぱいである。


シスカンパニーのHPによる本作品の概要はというと、、

究極の核戦争後に生き残った男女3人のあてどのない旅・・・。


この「未来とも過去とも知れぬ物語」が誕生したのは1979年のこと。名古屋を拠点としていた劇作家・北村想が、自身の劇団の女優たちのために書き下ろした稽古用台本がその始まりだといいます。喫茶店を兼ねた小さなスペースでの、いわば実験的上演であった初演の評判は、瞬く間に名古屋から東京にも響き渡り、翌'80年春、東京・浅草木馬亭にて東京初演が開幕。絶望的なシチュエーションでありながら、不思議な明るさと無邪気な笑いにも満ちた物語性、それまでの演劇の概念にとらわれない近未来的な設定と詩的メタファーに彩られた独自の言語感覚など、'80年代に加速した「小劇場演劇」の方向性に大きな転換期をもたらしたと言われています。そして、その後の現代演劇の流れを語る上でも欠かせない記念碑的な作品として、初演から30余年を経た現在に至るまで、プロアマ問わず上演が重ねられている、いわば「現代演劇の古典」的な作品なのです。


最近では、その黙示的な側面が驚嘆をもって語られることが多いこの戯曲。確かに、初演から30余年の間に、社会情勢も人々を取り巻く環境も物心ともに地球規模で変容を遂げ、初演当時に寓話的ロマンティシズムさえ感じさせた「無数のミサイルの閃光が地上を照らす光景」が、その後、リアルタイムに茶の間に映し出される日が来るとは誰が想像できたでしょう・・・。そして、ここに描かれた荒地の光景やミサイルの鮮やかな色彩描写に"既視感"を強く抱いてしまう現在。そんな現実とのやりきれない共時性を意識しつつ、どこを目指すでもなく歩み続けるしかない旅路の「果てのなさ」は、「無への絶望」ではなく「無から生まれる希望」に通じるようにも感じられ、3人から強烈に繰り出される他愛なく"ええかげん"な会話や踊りにも、古来より人間の根底にある土着信仰に似た神秘性も感じられます。そして、終幕に導かれるすべてを包み込み浄化していくかのような光景・・・・。
これまで多くの人々の心をつかんできたことに、誰もが納得してしまう名作戯曲なのです。


演出は、近年は演出家としても注目が高く、多くの演劇賞にも輝く 千葉哲也 が担当。今もなお進化し続けるかのように、多くの意味合いを提示し続けるこの名作に対峙します。そして、滅びの荒野を進み行く芸人ゲサクを、2010年『K2』(演出:千葉哲也)以来、ほぼ1年ぶりの舞台出演となる 堤 真一 が演じ、盟友・千葉哲也との3度目の芝居創りに意欲を燃やします。また、ゲサクと共に旅するキョウコには、2007年の初舞台「いのうえ歌舞伎☆號『IZO』」以来4年ぶり2度目の舞台に挑む 戸田恵梨香 が登場。 聖母マリアなのかキリストを慕うマグダラのマリアなのか・・・。 純真無垢と自由奔放さをあわせ持つ女性像に真正面から向き合います。そして、「劇団☆新感線」のみならず、ミュージカルから蜷川シェイクスピアまで幅広く活躍する 橋本じゅん が、 この世界の終末に降りてきた"救世主キリスト"を思わせる謎の男ヤスオとして "降臨"。 男女3人の道行きに微妙なバランスをもたらす存在を担います。


2012年の幕開けを飾る、シス・カンパニー公演「寿歌」にご期待ください。


観劇中にずっと感じていたのは、ゲサク&キョウコと全く噛み合わないヤスオの会話(ナンセンスとしか言いようがない)。そして訳のわからぬストーリー展開。その台詞一つ一つを拾い、そこから何を言おうとしているのか真面目に考え始めると頭の中が「?」でいっぱいになる。  


途中で意味を追うのをあきらめ、堤・戸田・橋本の演技そのものを楽しもうと見方を変えて観ると、その芝居ぶりに観ているほうが楽しくなってくる。何とも不思議な感覚を味わった。


そもそも各役のキャラクターに一貫性がないのかもしれない。出来事に対する各人の感情表現それぞれに統一感がないのだ。特に堤真一演じるゲサクは、時に子供のようになり、時に母親のようになり、時に哲学者のようになり、刻々とキョウコ・ヤスオとの関係性を変えていく。演じる方はテンションの切り替えをどうやっているのか、大変なんだろうか、それとも楽しんでいるんだろうか? 


今回はどちらかと言えば受身な部分が多いヤスオはどうか? 核戦争で生き残った環境下では、不死身で、物を倍にも3倍にもすることができるヤスオの特技は、あまり役に立ってはいない。成すすべもなく、二人の道中についていくヤスオの心中はいかに?そしてヤスオは本当に耶蘇(=キリスト)なのか?


などなど、いろいろな考えが浮かぶものの、自分の中で明確な答えを出せないまま、いまだいる、それが本当のところだ。


ひょっとしたら、この芝居に答えはないのかもしれない。


いや、芝居そのもので伝えたいことはあったのかもしれないが、3人の間で交わされる台詞は、実は推敲され、研ぎ澄まされた結果の意味のあるもの(必然性のあるもの)が少ないのかもしれない。


自分が答えをみつけられないだけなのかもしれない。


謎は深まるばかりだ。


本公演をもう一度観れば、答えは見つかるのだろうか?(チケット前売りが完売している今の状況では難しいだろうが。。。)


別なキャスト・演出家での『寿歌』を観て、観点を変えることで、答えは見つかるのだろうか?


<出演者>

   堤 真一 :ゲサク
   戸田恵梨香:キョウコ
   橋本じゅん:ヤスオ



音 楽 : ★★★☆☆
脚 本 : ★★★☆☆
演 出 : ★★★☆☆
役 者 : ★★★★☆
舞台/衣装:★★☆☆☆
満足度 : ★★★☆☆



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