マネとモダン・パリ

caltec2010-07-10



東京、丸の内にある三菱一号館美術館にて『マネとモダン・パリ』展を観る。本美術館は、丸の内の再開発が進んでいるエリアに立地し、美術館の中に入るまでのアプローチの庭がとても心地良さそうなど、まずは「見た目」から「良さそうな展覧会だな」という印象を強く持っていた。


美術館による本展覧会の概要は以下のとおりだ。

エドゥアール・マネ(1832−1883)は、後に「印象派」となる画家たちだけでなく、後世の芸術家たちに決定的な影響を与えた、近代絵画史上最も重要な画家のひとりです。日本でもよく知られ、深く愛されている画家ですが、その作品を国内で見る機会は非常に限られています。


今年4月に東京・丸の内にオープンする三菱一号館美術館の開館記念展となる本展は、マネの芸術の全貌を、当時のパリが都市として変貌していく様子と結びつけながら、代表的作品により展覧しようとするもので、マネの油彩、素描、版画80点余が出品されます。また、同時代の作家たちの油彩、建築素描、彫刻、写真など約80点もあわせて展示し、マネが生きたパリの芸術的な背景も紹介します。日本でマネの作品をまとまった形で見ることができる貴重な機会です。どうぞ、ご期待ください。


さて、期待に胸膨らませて、エレベーターで3階に上がり、展覧会の開始となる。そこでまず、次のような説明が飛び込んできた。

エドゥアール・マネの現在 ー開館記念展に寄せて」(三菱一号館美術館長(本展コミッショナー高橋明也)


19−20世紀の近代美術の成立を考えるとき、マネが果たした役割は決定的でした。レアリスムを基調に、ベラスケスなど過去の巨匠たちの作品を研究・引用し、さらに日本美術や新しい印象派の技法を援用するなどしてマネが実現した作品世界は、新しい近代の市民社会の現実を鏡のように映しこんだ斬新なものだったのです。マネに続く画家たちは皆、マネ芸術の成果をさまざまな形で受け止
めました。モネやルノワールなど、マネより少し若い印象派世代の画家、セザンヌ、ゴーガンといったポスト印象主義の人々、さらにピカソを筆頭に、20世紀のポップ・アートやヌーヴォー・レアリスム、そしてさらにポスト・モダンの作家たちの多くも、マネが開拓した地表なしでは存在しなかったでしょう。


しかし、僅か51歳で逝去したこの画家の回顧展の開催には、常に困難を伴うのが現実です。なぜなら、マネは本来決して多作ではなかった上に、貴重な代表作の多くは欧米の著名美術館の「目玉」となっていて、それらを借り出すことは大変に難しいためです。世界的にみても、1983年にパリとニューヨークで開かれた大規模な没後100年展以降、この画家に関する展覧会は数えるほどしか開かれていませんし、我が国においてもマネに焦点を当てた企画は稀です。今回、三菱一号館美術館の開館記念展として、この画家を選んだことには大きな意味があります。それはマネこそが近代都市パリの成熟期にあって街を心から愛し、都市生活そのものを滋養として制作した芸術家であり、他方、新しく出発する美術館もまた、あらゆる意味で都市と共に生き、成長していこうとしているからです。


長い準備期間を経て実現された本展「マネとモダン・パリ」は、西欧の重厚な絵画伝統を新しい時代にふさわしい形に変換させた、この類稀な芸術家の代表的作品を編年的に辿る、回顧展の形式をとっています。そして同時期に制作を重ねていた作家たちの作品を併設することで近代の都市文化と芸術の接点を探るという、複眼的な構想をもつ展覧会となっています


展覧会の内容うんぬんの前に、展覧会会場の冒頭に掲げられた、館長のこのメッセージが今回のマネ展の性格を一番良くあらわしていると感じた。


・マネ=西洋の伝統絵画の呪縛から逃れ、印象派のさきがけとなった画家である
・マネ=近代都市パリの成熟期にあって街を心から愛し、都市生活そのものを滋養として制作した芸術家である
⇒あらゆる意味で都市と共に生き、成長していこうとしている三菱一号館美術館の性格と合致している


・マネは寡作であり作品が少ない上、代表作の多くが各美術館の目玉であり、貸出が難しい
⇒だからこそ実現するだけの魅力がある


マネの作品を主体に、そこにマネとパリの都市生活との関わりを見出し、(主点数が少ない点を補いながら)、ただ単なるマネの作品を集めました的な企画展にはしない、という開催側の意図が明確に伝わってきて、知的好奇心を満たす、という意味では、大いに堪能できた展覧会だったと思う。


しかし、展示内容そのものについては、館長からの挨拶で書かれているとおり、著名美術館の「目玉」作品を借りるというのは、なかなかに難しいようで、これぞという珠玉のマネ作品に出会うことは出来なかったのが残念だ。


個人的には、抑えた地味で暗い色調ながらも、その落ちつた雰囲気と、引き締まった構図で抜群の安定感を放っていたゴーギャンの風景画(特に河の水面の色)が一番印象に強く残った。


ゴーギャンというのは不思議な画家で、ゴーギャンの作品をずらりと並べると、地味で見栄えがしないのに、他の画家の作品と並べて展示すると、突然、その良さが見えてきたりする。(少なくともcaltecはそう感じる)


それは、どの作品でも、彼の色調に思ったほどバリエーションがないのと、作品のトーンがある一定の枠を出ないため、自身の作品間での区別がつきづらいためだと思う。


マネ作品や、マネという人を詳しく知りたい方には、『芸術新潮』の5月号のマネ特集を一読することをお勧めする。caltecは事前にこの雑誌を熟読しすぎて、この雑誌で紹介されている(レベルの)ものが展示されるのでは?と高い期待を抱いて臨んでしまったため、本展に対しては少し物足りなさを感じたが、本展は、マネという画家の立ち位置、マネとモリゾの関係など、いろいろと知る機会であると思う。


企画力  :★★★☆☆
展示方法 :★★☆☆☆
作品充実度:★★★☆☆
満足度  :★★☆☆☆



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