ヴィジョンズ オブ アメリカ 第2部 わが祖国 1918-1961


東京都写真美術館にて「ヴィジョンズ オブ アメリカ 第2部 わが祖国 1918-1961」展を見る。

【第2部の見どころ】


1.アメリカのモダニズム
第1次世界大戦後、世界のトップに躍進したアメリカは、この国独自の写真表現に取り組む。「カメラ・ワーク」や「フォトセセッション」が展開してきたピクトリアリズムは1910年代の終わりには、もはや時代にそぐわないものになり、テクノロジー時代の新たな表現形式に向かった。ピクトリアリズムのソフト・フォーカスから離脱し、クリアな画面、エッジが浮き立つシャープな線、印画紙が持つ黒・白・グレーの美しい諧調を活かした力強いストレート写真が新時代の表現として登場することになった。
ティーグリッツは新時代の旗手たちのメンター的役割を果たし、ポール・ストランド、チャールズ・シーラー、エドワード・ジャン・スタイケンらが、近代都市の息吹をニュー・ヴィジョンによって捉えた。一方、エドワード・ウェストン、アンセル・アダムスらは西海岸を拠点にf.64グループを結成し、アメリカの大自然に視点を向けた。これらの新表現は、広告写真にも発揮され、ラルフ・スタイナー、ポール・アウターブリッジ・ジュニアやヴィクター・キープラーらによって実践された。 1937年にはドイツで閉校になったバウハウスが、シカゴに再建されハリー・キャラハンやアーロン・シスキン、ネイサン・ラーナー、石元泰博らが関わり、中西部に新たな写真の文化圏を展開するほか、50年代には、スティーグリッツやウェストン、アダムスらの表現スタイルを引き継いだ上に、東洋思想など精神的な暗喩を持ったマイナー・ホワイトらの活動など、アメリカの写真表現はヴァラエティに富んでいった。


2.グラフ誌の黄金時代
1936年、メディアの影響力をいち早く見抜いていたヘンリー・ルースによって、『ライフ』が創刊される。これを機に、アメリカにグラフ誌ブームが起こり、世界中を巻き込んでいく。『ライフ』は、何点かの写真によって、記事内容をストーリーで伝えるフォト・エッセイを前面に押し出し、質の高い写真を提供した。マーガレット・バーク=ホワイト、ロバート・キャパ、W.ユージン・スミス、アルフレッド・アイゼンスタッド、デヴィッド・シーモアカール・マイダンス、三木淳らは『ライフ』を飾ったフォトジャーナリストとして先駆者的存在である。
世界中で急速に広がり始めた、良質な写真への大量なニーズに応えるべく、1947年、キャパやアンリ・カルティエ=ブレッソンらによって、写真エージェンシー「マグナム」が設立される。一方、ファッション雑誌においても、『ハーパース・バザー』や『ヴォーグ』などに、アレクセイ・ブロドヴィッチ、アレキサンダー・リバーマンらの優れたアート・ディレクターや、マーティン・ムンカッチやリチャード・アヴェドン、アーヴィング・ペンらの写真家たちが登場し両者の関わりによって、斬新な写真スタイルがつくりだされ、印刷メディアは黄金期と呼ばれる盛り上がりを見せる。


3.ドキュメンタリー写真
1929年の世界恐慌による失業者対策としてアメリカ政府が打ち出したものにニューディール政策がある。そのプロジェクトのひとつであるFSA(Farm Security Administration 農業安定局)によって、アメリカのドキュメンタリー写真は活発になる。FSAは、主に困窮する小規模農業者たちを、生活可能な土地に移動させたり、生活するための資金援助を行うのが主な目的であった。そのような予算を確保するため、農民の惨状を記録し、国民たち有権者に伝える必要があった。説得力ある写真を得るために、政府はウォーカー・エヴァンズ、ベン・シャーン、ドロシア・ラングらを起用し、撮られた写真は、グラフ誌や展覧会などを通して発表された。
社会的問題意識をアメリカ国民と共有するために美意識の高い作品が効果的であることを政府は理解しており、FSAによるドキュメンタリー写真は、優れたものが残されている。なかでも、エヴァンズは普遍的なイメージを捉え、次世代の写真家たちに大きな影響力を持つことになる。このような写真の力を信じた者たちによって、1936年、ニューヨークに設立された「フォト・リーグ」は、社会的出来事などの対象に対する自分の見解を視覚的な表現によって示そうとし、写真を学ぶための教育機関を母体に展開した。この団体は、マッカーシー旋風下の赤狩りの犠牲になり、1951年に解散を余儀なくされるが、彼らの活動は、ニューヨークでのストレート写真の形成に大きく寄与している。


企画力  :★★★☆☆
展示方法 :★★★☆☆
作品充実度:★★★☆☆
満足度  :★★★☆☆