杉本博司 時間の終わり

caltec2006-01-05



森美術館にて「杉本博司 時間の終わり」展を見る。見終わった感想は一言。素晴らしい!


パンフレットやチラシ、雑誌の展覧会案内記事から窺い知れる彼の作品の印象は、「静謐で美しい写真」というものでした。実際、会場に行き各展示ゾーンの入り口に書かれてある説明書き(杉本氏の言葉によるのだそうです)を読んでから写真を見ると、静謐で美しい写真という事前の印象に加えて、「哲学する写真」「瞑想する写真」だ、という思いもふつと沸いてきました。


例えば、最初の展示室「観念の形」には以下のような説明文があります。

(略)・・・「ゼロ」や「無限」は人間が発見したと言うよりは発明したのだろう。線には長さだけがあって幅がないというのも奇妙だ。私が引く鉛筆の線は、眼に見えないはずの線を、見えるようにするための近似値にすぎないのだ。芸術と呼ばれる作業も、近似値の提示だと私は思っている。見えないはずの世界を見えるようにするためのもの。・・・(略)


先日見た「ドイツ写真の現在」展では、現実世界を表現するには、もはや現実そのものの像ではなく、非現実(フィクション)の像で表現することにより、逆に今の現実をよりストレートで端的にわかりやすい形でイメージ化して伝えることが可能になる、という写真の新たな一面を知った気がしたのだが、今回の「杉本博司 時間の終わり」展では、また違った写真表現に気づかされた。


それは、彼が取り組んできている各シリーズ(ジオラマポートレート、劇場、建築)には、テーマごとに彼の思想があり、それを写真というフィールドで表現しているのだ、ということだった。彼は写真にはデジタル加工はしていないが、それぞれのテーマに適した撮影方法(長時間露光による撮影や、無限大の倍の焦点での撮影など)を選択しながら、彼の思想を写真上に浮かび上がらせているように僕には思えたのだ。


今回の展覧会は写真も良かったのが、テーマ毎の各展示エリアの展示意匠も素晴らしかった。時には真っ白で無機質かつ無垢な空間だったり、時には薄暗いグレーの空間だったり、彼(杉本)の写真が最大限に活きるような展示のされ方がしてあったように思う。


満足度:★★★★☆