トリノオリンピック

caltec2006-01-04



ここ数日のフィギュアスケート関係の記事をまとめてみました。
しかし、今日のニュースステーションでの、安藤美姫のあのインタビューはなんだ?ちょっと頭悪すぎ。「しゅっちゅっ」ですか。。。(どうやら集中と言いたかったらしいが、笑い転げて何度も言い直した挙句、結局、「しゅっちゅっ」としか言えなかった)(ため息)


まあ、そんなくらくらする発言は置いておいて、彼らオリンピック代表はお正月から現地でトレーニングに励んでいるそうです。あの天才選手、伊藤みどりがいた時代以上に注目が集まっているフィギュアスケート女子(「女子」と限定なのがまだまだ悲しいところですが)。マスコミの取材攻勢を気にすることなく、調整に集中してほしいものです。

フィギュアの舞姫3人、決戦の年


(2006年01月01日11時13分)


98年2月20日、長野のホワイトリング。真っ赤な衣装に身を包んだ少女が、大観衆に見守られて演技していた。荒川静香、16歳。その姿を見つめる2人の少女がいた。観客席の村主章枝、17歳。そしてテレビ画面で追っていたのが、10歳の安藤美姫だった。


昨年末、24歳の誕生日を迎えた荒川は13位になった長野五輪のビデオを見ようとしない。「何も学ぶべきものがないから」。小学校の時、七夕の願いごとに「五輪」と書いた夢の舞台。だが、世界選手権すら出たことがない16歳にとって、何の目標も立てられず、ただ、過ごして終わってしまった。
「(長野以前の)ジュニア時代のビデオを見ることはある。何もおそれずに滑っているから」


それが、今季の荒川にとっては難しかった。「人生かかってますから」と漏らした代表選考のプレッシャー。縮こまった。 ようやく脱したのが、最終選考会の全日本選手権。練習で3連続の3回転ジャンプを何度も成功させた。長野前、彗星(すいせい)のように登場してきた時、伊藤みどりに次ぐ「ジャンプの天才」と言われた姿をほうふつとさせた。原点に戻った。


村主にとって、長野の観客席は苦痛だった。直前のけがの影響もあり、荒川に敗れて出場を逃したからだ。その悔しさがあったから、次のソルトレークにかける気持ちは強かった。荒川との2度目の対決を制して出場した先に待っていたもの。それは「すごく透明感のある空間」。5位に入った。


再び、五輪の舞台へ。だが、昨年9月に右股関節をおそったけが。一時は歩くこともままならなかった。それでも、村主はへこたれなかった。25歳の今、「土壇場に強い。それがわたしの人生かな」とほほえむ。


荒川の姿を見て、安藤は決意した。「五輪に出たい」。8歳でスケートを始めたばかりの少女にとって、大舞台で躍動する姿がまぶしかった。 02年に女子では初の4回転ジャンプに成功。03年から全日本選手権2連覇。順調だったはずのスケート人生は、昨季、歯車が狂った。 注目を一身に浴び、名古屋の自宅周辺にカメラマンが押しかける。「なんでこんなに注目されるのかわからない。スケートは、もういらないって思った」


新しい出会いが迷いを断ち切った。05年5月1日。米国・クリーブランドの空港に降り立った安藤を待ち受けていたのは、60年スコーバレー五輪金メダルのキャロル・ヘイス・ジェンキンス・コーチの笑顔だった。 「初対面の人にぎこちなさのない笑顔を見せられるってすてき。自分に足りないものはこれだなあって」 気持ちがリンクに戻った。「徐々に『安藤美姫』というスケーターになれてきている。うまい選手ではなく、強い選手になりたい」。成長した18歳の安藤がいる。


長野から8年になる。


村主、荒川が支えてきた日本女子フィギュアの流れは、安藤、そして浅田真央らが合流し、大河になった。長野で一つだった枠は、68年グルノーブル以来の3枠に。 スケールの大きな滑りの荒川。繊細な表現力で見せる村主。4回転ジャンプを持つ安藤。個性の違う3人が代表争いを勝ち抜いた。

 
荒川は誓う。 「世界と戦える力を身につけて臨む今回は、長野とは違う。守らずにいきたい」

 
村主は言う。 「前回はひとつの大きな試合だったが、今回は自分を表現したい場」

 
力を出し切れなかった選考レースを経た安藤は語る。 「夢の舞台で自分の力を出して表彰台に上りたい」


06年元日。村主と安藤は事前合宿に参加するため、トリノへ向かう。荒川は練習拠点の米国からトリノへ。本番リンクでの初滑り。1カ月半後、どんな華を咲かせるのか。それぞれに思いをはせながら、決戦の年が幕を開けた。

フィギュア勢トリノ到着 村主「明るい年に」と抱負


(2006年01月02日09時58分)


トリノ五輪フィギュアスケート代表の村主章枝(avex)荒川静香プリンスホテル安藤美姫(愛知・中京大中京高)と高橋大輔(関大)が1日、五輪会場での練習のためトリノ入りした。


村主と安藤、高橋は同日夜(日本時間2日未明)にトリノ国際空港に到着。昨年末の全日本選手権優勝の村主は「太陽がさんさんと降り注ぐような明るい年に」と五輪イヤーの抱負を語った。安藤は「2006年は成長を生かして皆さんに笑顔を見せたい」、高橋はパラベラ競技場での練習を「結構楽しみです」と話した。米国を練習拠点とする荒川は1日午前に当地入り。4人は2日から同競技場で練習する。(共同)


これは浅田真央トリノオリンピックに参加できないことについての記事。マスコミも真央を出場するよう日本スケート連盟が正式に申請しないのは、おかしいと思っている、ということでしょう。チンクワンタ会長に非公式に打診したって、正式な要請がない以上、彼の一存では決められないだろうに。今回の一連の連盟の対応については、結構ケチがついたと思う。まあ、選手にはそんなことはさておき頑張ってほしいけど、選手ももっと発言には気をつけたほうがよいとは思います。

浅田真央、出場すればメダル確実」伊有力紙が特集記事


(2006年01月04日20時54分)


2月にトリノ冬季五輪を開催するイタリアで最多の発行部数を誇る全国紙コリエレ・デラ・セラが、4日付で年齢制限のため同五輪への出場資格がないフィギュアスケート女子の浅田真央(グランプリ東海ク)の特集記事を掲載した。


「マオはフェノメノ(並外れた逸材)だがトリノで勝つには年齢が足りない」との見出しで、出場資格がないことを紹介。女子で史上初めてトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を一つのプログラムで2度成功させたことなどから「五輪に出場すればメダルは確実」とした。同紙は、日本スケート連盟が出場資格の規則変更を国際スケート連盟に対して強く求めない背景には、スポンサーとの関係があると伝えている。

 
記事では「スポンサーであるチョコレート会社にとって、自社が契約している選手たちを差し置いてマオ(浅田)がメダルを手にすれば、間違った選手に宣伝させていたことになる。まるでハラキリ(切腹)だ」としている。(共同)