ドイツ写真の現在

caltec2005-12-18



「ドイツ写真の現在― かわりゆく「現実」と向かいあうために Zwischen Wirklichkeit und Bild : Positionen deutscher Fotografie der Gegenwart」@東京国立近代美術館へ行く。最終日ということで混んでいるかなーとも思ったのだが、上野の美術館とは違い、こちらは比較的ゆったりと落ち着いたペースで作品を鑑賞することができた。


今回の展示は現代ドイツを代表する5人の作家+台頭めざましい5人の作家を紹介していたのだが、「写真」という芸術表現の持つ奥深さというか、面白さに改めて触れるいい機会になった。


写真とは、目の前にあるものを、シャッターを通じて写真家の切り取られた(選ばれた)スコープで捉えられた現実である、とこの展覧会をみるまで思っていた。実際今まで見てきた写真展はそのようなものであった。ポートレート写真しかり、ロバートキャパの報道写真しかり、ロバートフランクなどの社会的な写真然り。。。


しかし、今回の展覧会では、ベッヒャー・シューレ(ベッヒャー派)以降のデジタルテクノロジーを利用した写真や、現実ではなく、紙で作った模型をあえて本物らしく撮った写真作品などが展示されており、写真とはもはや現実そのものではなく、虚構の世界であるのだ、ということを感じさせられた。いや、もっと正確に言うと、現実を映し出すからこそ価値があると思っていた写真という表現方法は、もはや現実と虚構の狭間で揺れる表現方法になってしまったのだなあ、ということだった。(本当は、ある瞬間が写真に撮られた時点で、それは現実ではなく、ある種の虚構(イメージ)になってしまうのだけれども)


しかし、デジタル加工することにより、逆に今の現実をよりストレートで端的にわかりやすい形でイメージ化して伝えることが可能になることも事実で、そう考えたときの現実って一体何なんだろう?とふと展示作品を見ながら思ったりもしていた。


絵画の表現の奥深さとはまた違ったレベルで、写真という表現方法も奥深いものなのだ、ということを知れてとても勉強になった展覧会だった。


ただ、この展覧会を通じて感じたのは、シャッターを通じて現実を切り取った写真と、デジタル処理や合成加工などの二次加工をした写真との大きな違いやはり歴然として存在していて、それはそこに映し出された対象物そのものがもつ力強さや見ているものに迫ってくる説得力のようなパワーの差であるように個人的には感じた。


満足度:★★★★☆


大寒波がやってきた!)