モネとジヴェルニーの画家たち

caltec2011-02-12



渋谷Bunkamura・ザ・ミュージアムにて「モネとジヴェルニーの画家たち」展を観る。タイトルから想像するに「印象派の画家たちの作品が、モネの影響や交流などという章構成で、「モネ」を軸に読み解かれ、展示されるのだろう」と想像していたが、実際に会場を訪れてみて、それが「勝手な思い込み」であることに気付いた。


「ジヴェルニーの画家たち」という表現が曲者で、その「画家たち」とは、多くが、「ジヴェルニーに滞在して絵を描いたアメリカ人画家」のことであった。うむ。見事にタイトルに騙されてしまった。。。 とりあえず「印象派」だとか「モネ」「ルノアール」なんて言葉を散らしておけば、印象派好きな日本人、客が多く入るだろう、と主催者側が考えたと思えなくもない、ちょっと微妙なネーミングではあると、正直思う。


Bunkamura・ザ・ミュージアムのHPで、本展覧会の監修を行った、プロデューサーの木島俊介さんが「展覧会概要・みどころ(Introduction)」の頁で下記のメッセージを書いている。

印象派の画家クロード・モネは、1883年、42歳の頃より、パリから約80キロほど北西に位置するセーヌ川沿いの小村ジヴェルニーに住み、近隣の風景を描いて名声を得てゆきました。当時のジヴェルニーは、300人ほどが暮らす典型的なフランスの農村でしたが、セーヌ川とその流れが生み出した丘陵とが四季それぞれに穏やかな光景を展開させていました。この村はもちろんモネが描いた睡蓮、積みわら、ポプラ並木などの作品によって世界に広く知られることとなったのですが、モネの友人であるボナールのみならず、1915年頃までには、日本の児島虎次郎をはじめ、19カ国を超す、300人以上もの芸術家がここを訪れています。


格別、印象派の作品を早くから受け入れていたアメリカの画家たちは訪問者の70%をしめていたばかりか、ここに住んで制作した画家の数も多いときには50人を超すほどで、ここはさながらアーティストのコロニーの観を呈していたのです。アーティストの共同体には夢があります。それは、互いに分かち合える共通の価値をそこから汲み上げながら、この普遍性のなかに各自の個性を確立するという芸術の理想の夢なのです。

 
今回の展覧会では、モネの作品を初め、彼の義理の娘ブランシュの作品、そしてこの芸術家村で制作したことでアメリカの印象派を形成するにいたる多くのアメリカ人画家の作品に焦点をあてつつ、ひとつの理想郷ではぐくまれた、風景と人々の生活の姿をテラ・アメリカ美術基金の全面的な協力のもと、約75点で示します。


監修 Bunkamura ザ・ミュージアム プロデューサー 木島俊介


うむ。事前にこのHPを見ておけば良かったかもしれない。。。


閑話休題、本展覧会で気づいたのは「アメリカ人の感覚で捉えられたジヴェルニー」は「モネのジヴェルニーとは全く違うものである」ということ。戸外の光を浴びた色彩や大気感を、どことなく「もわっと」描いているモネの絵に比し、アメリカ人画家の作品の多くが、水平や垂直の直線を軸に、実に安定した構図を取り、スッキリとした広がりのある風景を描き出している。モネの曖昧さ、複雑さに比して、アメリカ人画家たちの明確さ、シンプルさ、安定感という対比構造は、予想外の発見で、鑑賞中、中々に面白いなあとずっと感じていた。


今まで全く気付かなかったのだが、確かにそういえば、ホッパー、ワイエスなどアメリカ人画家の作品は直線的なものが多いかもしれないなー。


「ジヴェルニーの画家たち」の作品の多くは「テラ美術館」の収蔵品で、それと対比して展示されているモネの作品のほとんどは、日本にある美術館の展示品からの貸し出し作品。地方の美術館含めて、日本には、印象派の作品が多いんだなあと、改めて感じた。


企画力  :★★★☆☆
展示方法 :★★★☆☆
作品充実度:★★☆☆☆
満足度  :★☆☆☆☆



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