チュニジア、ジャスミン革命


2005年のお正月に旅行で訪れたときには「治安が良くて、イスラム教の戒律もあまり厳しくなく、旅行者にとって、いい国だなあ」という印象を強く持ったチュニジア


首都チュニスでは、空港から、目抜き通りに至るまで、大統領の写真が大々的に飾られていて(根拠がない)「イスラム国っぽい」という感想を抱いていたのですが、このような事態になるとは思ってもいませんでした。 大統領は皆に愛されているように映っていたので。。。


チュニジア大統領がサウジに脱出、強権政権が崩壊


【カイロ=貫洞欣寛】


大規模な反政府デモが続いていたチュニジアで14日、ベンアリ大統領(74)が国外に脱出、23年続いた強権政権は崩壊した。デモが激化し、多数の死傷者が出る中、政権の維持は不可能と判断したとみられる。ガンヌーシ首相(69)が同日、大統領権限を暫定的に引き継ぐことを宣言した。ベンアリ政権を支えてきたガンヌーシ氏に拒否反応を示す市民は多く、情勢が沈静化するかどうかは不透明だ。中東には強権的な長期政権が多く、影響が広がる可能性もある。


AFP通信などによると、ベンアリ氏と家族を乗せた航空機は15日未明、サウジアラビアのジッダに到着した。事実上の亡命とみられる。


チュニジア全土には14日、非常事態宣言と戒厳令が出され、空港も閉鎖された。チュニスなどでは深夜になって中心街から人通りが消えたとの情報もあるが、散発的に銃声が聞かれ、略奪なども起きている模様だ。


先月中旬、高い失業率や物価高に抗議するために始まったデモは、治安当局が強圧的に鎮圧を図ったため、猛反発を招き、雪だるま式に参加者を増やしながら各地に広がった。批判の矛先は強権体制を敷いてきたベンアリ氏に向かい、退陣を求める声が高まった。警官隊との衝突により、政府発表で23人、人権団体の集計で60人を超える死者が出た。


ベンアリ氏は当初、デモを「テロ行為」などと批判していたが、12日に内相の更迭を発表。13日にはテレビ演説し、言論の自由を拡大することや食料品の価格引き下げ、任期が切れる2014年に引退することなどを約束、事態の沈静化を図った。


しかし国民の抗議は抑えきれず、14日には数千人が内務省を包囲してベンアリ氏の即時退陣を求めた。ベンアリ氏は同日夕、全閣僚の更迭と半年以内の選挙実施を発表したが、間もなくベンアリ氏が国外脱出したとの報道が流れ、ガンヌーシ首相が暫定的に大統領権限を引き継ぐと発表した。


ベンアリ氏は軍情報部出身。首相となった1987年、事実上の無血クーデターで約30年にわたり政権の座にあったブルギバ大統領を追い出し、大統領に就任。各地に秘密警察員を配置したり、政治活動の自由を制限して政敵を拘束したりする強権的な手法で5期23年にわたり政権を維持してきた。


ガンヌーシ氏は87年にベンアリ氏が政権を掌握後、政権に加わり財務相に就任。99年から首相としてベンアリ政権を支えてきた。ガンヌーシ氏に反発する声も強く、15日にはガンヌーシ氏退陣を求めるデモがあるとの情報もある。


asahi.com 2011年1月15日10時48分)

チュニジア、デモ収まらず 前政権出身閣僚の退陣求める


チュニス=貫洞欣寛】


チュニジアの暫定連立政権のガンヌーシ首相とムバッザア暫定大統領が与党・立憲民主連合(RCD)からの離党を決めたことに対し、野党や市民は納得せず、チュニス市内では19日朝からRCD出身の閣僚の退陣を求めるデモが再開。暫定政権にさらなる改革を求める市民の要求が止まる様子はない。


暫定連立政権は野党を取り込む形で発足したが、主要ポストをベンアリ前政権を支えたRCDが握ったままのため、野党や市民は「何も変わっていない」と反発を強めている。チュニス中心部のチュニジア労働総連合本部前では19日午前11時ごろから市民や組合員数百人が集まり、「RCDは去れ」と叫びながらデモ行進を始めた。


デモに加わった大学教授ムハンマド・ディーファッラーさん(50)は「首相が離党しても、RCD支配の実態は変わっていない。内閣が総辞職するまで、市民が拳をおろすことは考えられない」。


デモ隊が目抜き通りに近づくと、警官隊がバリケードを築いた。靴店ハレド・ゴラブさん(33)は「真の変革のためには多少のコストを払う必要がある。店は1週間売り上げがないけど、私はデモを支持する」と話し、シャッターを閉めた。


デモが繰り返されるたびにガンヌーシ首相は何らかの妥協策を出しており、今後も譲歩を続ける可能性がある。


asahi.com 2011年1月20日2時36分)



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