「生誕120年 奥村土牛」展

caltec2010-05-01



東京広尾にある山種美術館にて「生誕120年 奥村土牛」展を鑑賞。2009年10月に今日訪れた新美術館がオープンした山種美術館の「山種」とは、、、、創立者である「山恕W種二」さんの苗字と名前の頭の文字「山」と「種」を取ったものであると思われ、このネーミングは、以前訪れたサトエ記念21世紀美術館を彷彿とさせる。


美術館のホームページにおる本展覧会の概要は以下の通りだ。

このたび山種美術館では、2009年に迎えた奥村土牛(1889−1990)の生誕120年を記念し、その人と芸術をたどる展覧会を開催いたします。


「私はこれから死ぬまで、初心を忘れず、拙くとも生きた絵が描きたい。むずかしいことではあるが、それが念願であり、生きがいだと思っている。芸術に完成はあり得ない。要はどこまで大きく未完成で終わるかである。」――85歳のとき、自著『牛のあゆみ』の中でこう語った土牛は、1889(明治22)年2月、東京・京橋に生まれ、16歳で梶田半古塾に入門して画業の道へと進みます。院展を活動の中心とし、横山大観小林古径速水御舟などから多くを学びながらも、土牛自身は「東洋画と西洋画」、「写実と印象」、「線と面」、「色彩と墨」、「立体と平面」という、相反する要素の間で試行錯誤を重ね、両者が融合した独自の芸術世界を築き上げました。土牛の院展初入選は38歳と遅咲きでしたが、その雅号の由来である「土牛石田を耕す」の詩句のとおり粘り強く努力を続けました。101歳で天寿をまっとうする直前まで絵筆を持ち続けたという画家魂には目をみはるものがあります。


代表作と言われる《鳴門》(1959年、70歳作)や《醍醐》(1972年、83歳作)にも見られるような、対象を見つめる真摯なまなざし、絵の具を丁寧に塗り重ねて生み出された「コク」にこだわった深い色彩、そして画家自身の心の清らかさや優しさのこもった作風こそが、画家の誕生から120年がたった現代においてもなお、多くの人々の心に感動を与え続けている所以でしょう。


山種美術館は、本画・素描・書を合わせて135点の土牛作品を蒐集し、戦後の秋の院展出品作品のほとんどを所蔵しています。日本国内外でも屈指の「土牛コレクション」といわれる当館所蔵品から、本展では、院展出品作を中心として、季節の草花や十二支をテーマに描かれた作品なども加えた約70点を選び、土牛の画業と芸術の粋をご紹介いたします。


企画力  :★★★☆☆
展示方法 :★★★☆☆
作品充実度:★★★★☆
満足度  :★★★★☆



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