バンクーバーオリンピック:女子シングル フリー

caltec2010-02-26



女子シングル、最終順位は以下のとおり。


1位キム・ヨナ(韓国)228.56
2位浅田真央中京大)205.50
3位ジョアニー・ロシェット(カナダ)202.64
4位長洲未来(米国)190.15
5位安藤美姫トヨタ自動車)188.86
6位ラウラ・レピストフィンランド)187.97
7位レイチェル・フラット(米国)182.49
8位鈴木明子(邦和スポーツランド)181.44

浅田が銀メダル、安藤5位 ヨナ優勝


バンクーバー来住哲司】


バンクーバー冬季五輪第14日の25日(日本時間26日)、フィギュアスケート女子のフリーが行われ、浅田真央(19)=中京大=が合計205.50点で銀メダルを獲得した。浅田は五輪ショートプログラム(SP)史上初のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)で2位につけていたが、フリーでは2度のトリプルアクセルに成功したものの、3回転ジャンプが乱れた。SPで首位に立った金妍児キム・ヨナ)(19)=韓国=は歴代女子世界最高の228.56点で金メダルを手にした。


SP3位のジョアニー・ロシェット(24)=カナダ=は202.64点で3位、同4位の安藤美姫(22)=トヨタ自動車=は188.86点で5位、同11位の鈴木明子(24)=邦和スポーツランド=は181.44点で8位。日本勢のメダルは、スピードスケート男子五百メートル2位の長島圭一郎(27)、3位の加藤条治(25)、フィギュアスケート男子3位の高橋大輔(23)に続き4個目。


毎日新聞 2010年2月26日 13時54分(最終更新 2月26日 14時33分))


■キム選手

五輪フィギュア:ヨナ、世界新の金…準備万端、楽に滑れた


とてつもない得点が出た。フリー150.06点、計228.56点。


25日(日本時間26日)行われたバンクーバー冬季五輪フィギュアスケート女子のフリー。金妍児キム・ヨナ)は自身の持つ世界最高得点をフリー16.11点、合計で18.53点も更新し、圧勝で金メダルを獲得した。


ガーシュイン作曲「ピアノ協奏曲ヘ調」に乗り、冒頭の3−3回転連続ジャンプ、3回転フリップを完ぺきに決めると、イナバウアーからダブルアクセル(2回転半)−2−2回転の3連続ジャンプ。スピードに乗った高いジャンプを流れるように決め続け、観客を一気に引き込んだ。今季のフリーはこれまでミスが目立っていたが、大一番ではノーミスだった。今大会の男子に当てはめても9位に相当する高得点に、「本当にびっくりした。『こんなことが可能なの?』と思った」と目を丸くした。


韓国での大きな期待にも「五輪は思ったより難しいものでないと思った。準備万端だったから、びっくりするほど楽に滑れた」といい、重圧を軽々とはねのけた。カナダ・トロントを拠点に、元五輪銀メダリストのブライアン・オーサー・コーチ、有名振付師のデービッド・ウィルソンのほか、陸上トレーナー、メンタルトレーナーらがおり、リンクへの送り迎えや英会話指導は母の朴美姫(パク・ミヒ)さん。担当制でサポート体制を組み、戦略を練ってきた。今季開幕前、オーサー・コーチは「215点を目指す」と語っていたが、五輪で大幅にクリア。コーチも「魔法みたいな時間だった」と信じられない様子だ。


演技直後、金は感極まって泣いた。リンクで初めて流した涙だった。【来住哲司】


毎日新聞 2010年2月26日 21時42分(最終更新 2月26日 21時58分))


■浅田選手


真央、悔し涙の銀


バンクーバー来住哲司】


バンクーバー冬季五輪は第14日の25日(日本時間26日)、フィギュアスケート女子のフリーで、浅田真央(19)=中京大=が自己ベストの合計205.50点で銀メダルを手にした。ショートプログラム(SP)、フリーともに歴代女子世界最高をマークした金妍児キム・ヨナ)(19)=韓国=が228.56点で初優勝した。


◇「3回転半成功は誇り」


金妍児、ロシェットと並んで立った表彰台。浅田だけ、笑顔がなかった。自己ベストを更新したが、金妍児に23点余りの大差をつけられての銀メダル。報道陣の前で「悔しいです」と涙を浮かべた。


直前に滑った金妍児が世界最高得点をたたき出したが、浅田は「歓声がすごくて、点数は聞こえなかった。ただ、良い演技をしたのだなと思った」という。SPで決めたトリプルアクセル(3回転半)はこの日も好調だった。ラフマニノフ作曲の前奏曲「鐘」に乗って、冒頭に単発で決め、続く3回転半−2回転トーループも成功した。だが、「後半になるにつれて緊張が出てきた」といい、後半の3回転フリップ−2回転ループ−2回転ループは、フリップの着氷が回転不足でオーバーターン。続く3回転トーループは左足エッジが途中で氷に刺さって跳ぶタイミングが遅れ、1回転。「後半は少し足に疲れがきていた」と悔やんだ。


フリーの得点は131.72点で自己ベスト(133.13点)に迫り、合計205.50点は自己ベスト(201.87点)更新。ただし、ジャンプに対するGOE(出来栄え評価)は、金妍児が各エレメンツ(要素)の基礎点に1.40〜2.00点上積みしたのに対し、浅田は失敗した二つを除いても0.20〜1.00点しか加点がない。


吉岡伸彦監督は3回転半の安定感について「助走のコースが自分で分かったと思う。エッジがフォア(前)で外に行ったり、踏み切りで内に行ったりする癖がなくなった」。ただし、GOEの加点について「高く跳ぶだけでなく、スピードに乗って踏み切り、ランディングも流れるようにしないと加点はもらえない」と指摘した。


しかし、女子フィギュア史上に残るトリプルアクセルの成功など見事な演技は、世界のファンの胸に強く刻まれたはずだ。「五輪で(トリプル)アクセルを3回決めたのは誇り」と浅田。努力を重ね、スランプを克服して得た銀色のメダルは大きな輝きを放っている。【来住哲司】


毎日新聞 2010年2月26日 21時14分(最終更新 2月26日 22時49分))

真央「悔い残った」…4年後はうれし涙に


演技後のインタビューで「本当に長かったというか、あっという間でした」と言うと、涙があふれ、唇が震えた。25日(日本時間26日)行われたバンクーバー冬季五輪フィギュアスケート女子のフリー。浅田真央(19)は「自分の演技がパーフェクトにやれなくて納得していない」と振り返った。金妍児に負けたこととミスをした自分に対する感情が入り交じった涙だった。


08年世界選手権で初優勝し、その後はフィギュアの世界殿堂入りしたロシア人、タチアナ・タラソワ・コーチに師事。体制は整ったかに見えたが、皮肉にもそこから浅田は伸び悩む。


この5年間で身長が10センチ以上伸びた体の変化、2シーズン前にあったルッツとフリップの踏み切り判定の厳格化への対応の遅れ。理由はいろいろあるが、練習環境にも問題がある。浅田は名古屋、タラソワ氏はモスクワと拠点が別々。「日本にいたい」という浅田の意向を尊重したが、関係者の間では疑問の声があった。昨年10月のロシア杯で5位と惨敗。その夜、ホテルでタラソワ氏から「モスクワで練習するか」と打診されても「日本でやりたい」と拒んだ。


浅田は練習が好きだ。だが、コーチ不在では、苦手なものがなかなか克服できない。苦手の3回転ルッツの克服は挫折。トリプルアクセル頼みのプログラムになってしまった。


五輪で、女子では世界で初めてトリプルアクセルを計3回決め、自己ベスト得点を更新した。本来なら手放しで喜んでいい快挙だ。だが、勝負をかけた演技でミスを重ね、金妍児に23点余りの大差をつけられた。信じて取り組んできたやり方は、夢をかなえるものではなかった。


「五輪は4年に1度しかない。悔いが残りますし、悔しい思いがある」。この悔しさを生かせば、4年後はうれし涙を流せるはずだ。【来住哲司】


毎日新聞 2010年2月26日 20時32分(最終更新 2月26日 23時21分))

氷上に「鐘」は響いた 真央、初志を貫徹


フィギュア女子フリーの演技を終えた浅田=AP ラフマニノフ作曲の前奏曲「鐘」の荘厳なメロディーが流れる中、浅田真央中京大)は跳び、滑り続けた。25日(日本時間26日)行われたバンクーバー冬季五輪フィギュアスケート女子のフリー。2度のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)は成功したが、中盤から滑りが乱れた。


ロシア人のタチアナ・タラソワ・コーチが作った今季フリーのプログラムは評判が悪かった。「曲が暗くて平板」「浅田のイメージに合わない」。グランプリ(GP)シリーズでの不調が非難の声を増幅させた。だが、浅田に変更の気持ちはなかった。「完ぺきな滑りができないまま変える気はない」という思いからだった。


02年ソルトレークシティー五輪男子金のアレクセイ・ヤグディン(ロシア)の「仮面の男」、04年世界選手権で優勝した荒川静香の「トゥーランドット」など、タラソワ氏が手がけた名プログラムはいくつかある。浅田の関係者は「本人は歴史に残るプログラムに出合えたと思っており、簡単に完ぺきに滑れるものとは思っていない」と説明する。ロシア杯後にジャンプのコースを跳びやすくするなど、完成を目指した。


力強さが求められる難しいプログラムを滑りこなした浅田。だが、金メダルには届かなかった。タラソワ氏が昨夏に「マオは少女から大人に変わった」と指摘したが、「氷上の妖精」から「大人の女性」へと揺れ動く美しさを表現するようなプログラムの方が、合っていたかもしれない。


タラソワ氏はかつて、サーシャ・コーエン(米国、06年トリノ五輪女子銀)、ミシェル・クワン(米国、元世界女王)に「鐘」のプログラムを作ったものの、コーエンは離反、クワンは故障のため、試合では使われなかった。「幻のプログラム」は浅田によって氷上で実現した。しかし、あと一歩、頂点を射止めるだけの力は持ち得なかった。【来住哲司】


毎日新聞 2010年2月26日 14時39分(最終更新 2月26日 15時01分))


■ロシェット

ロシェット、母にささげる銅メダル


バンクーバー冬季五輪第14日の25日(日本時間26日)、フィギュアスケート女子のフリーが行われ、地元カナダのロシェットが心臓発作で母を亡くした悲劇を乗り越えて、銅メダルを獲得。カナダのフィギュア女子選手として22年ぶりに五輪の表彰台に上がった。「順位に関係なく、誇りに思う。母と2人の生涯の夢を達成できた」。時折涙ぐみながら、喜びを口にした。


この日は序盤の3回転フリップの着氷などでミスも出たが、圧倒的な歓声を背に受けて、フリー自己最高の131.28を記録。合計得点の202.64も自己最高で、「自分の目標を達成できた」と完全燃焼した。


競技が始まる直前の21日に母テレーズさんが急死した時には出場辞退も考えたという。それでも「母が一番望んでいるのはスケートを滑ること」と決心して出場。母への思いがつまった銅メダルだ。


毎日新聞 2010年2月26日 21時48分(最終更新 3月1日 12時08分))


■長洲選手

長洲は4位「楽しんで滑れた」


フリーの演技を終え笑顔の長洲=AP 日米両国の国籍を持つ米国代表、16歳の長洲未来(ながす・みらい)は、「カルメン」を伸び伸びと演じ、合計190.15の自己ベストを更新。安藤を抜いて4位に入賞した。日本語で「安藤選手に勝っちゃいました。世界選手権を勝った人の上なのですごくうれしい」と喜んだ。


この日は最終24番目に登場。「怖がるよりも楽しんで滑れた」。序盤のジャンプを確実に決めて、フリーも自己ベストを更新する126.39。


両親がロサンゼルスで営むすし屋を休んで応援に駆けつけたことについて聞かれると、「『ありがとうございます』以外に言葉はない」としんみり。


4年後のソチ五輪では20歳になる。「もうちょっと頑張れば表彰台に立てるかな。大人っぽいスケートをしなければ」と課題も分かっていた。


【大前仁】


毎日新聞 2010年2月26日 21時46分(最終更新 2月26日 22時28分))


■安藤選手

美姫、雪辱の5位 表現力に磨きかけ 


25日(日本時間26日)行われたバンクーバー冬季五輪フィギュアスケート女子のフリー。4回転サルコウに挑んで転倒し、15位と惨敗した4年前の屈辱を、少しは晴らした。だが、安藤美姫トヨタ自動車)の手にメダルは収まらなかった。


今季の安藤は波の激しい欠点が影を潜め、安定した成績を残すようになった。かつての「天才ジャンパー」が、表現力も含めた総合力で勝負するスケーターに変身。夏場には「ジャンプと表現力の両方を持っている選手が勝つ。自分はジャンプの印象が大きいが、欠けている部分をジャッジにアピールしよう」と表現力を磨くことに取り組んできた。


ジャンプへのこだわりを捨てたのは、昨年の世界選手権。万全の状態でなく、フリー当日の朝の公式練習でニコライ・モロゾフ・コーチから本番での「3−3回転回避」を命じられた。釈然としない安藤が「回避したら『逃げた』と思われる」と反論したところ、同コーチは「フィギュアはジャンプだけでなく、どう表現して人に見せるかを競うスポーツ。それが分からないなら試合に出る必要はない」と激怒した。本番は指示通り3−2回転で臨み、見事に銅メダルを獲得した。


表彰台には立てなかった。だが、かつての天才少女は、大人のスケーターとしての魅力をたたえてリンクで輝いていた。【来住哲司】


毎日新聞 2010年2月26日 14時46分(最終更新 2月26日 14時56分))

不安から「安全策」裏目…安藤、後退5位


25日(日本時間26日)行われたバンクーバー冬季五輪フィギュアスケート女子のフリー。SPの冒頭で3−3回転連続ジャンプに挑戦した安藤美姫(22)が、フリーでは3−2回転の「安全策」をとった。当初の予定から3−2に変更したのは、SPで3−3に失敗し、思うように得点が伸びなかったから。「ショートの後、自分に悔しくなって落ち込んでしまった。自分らしく、不安なく滑るため、3−2に変えました」


しかし、上位3人が200点オーバーという展開になっては、「安全策」で勝機を見いだすことは難しい。加えて、この日は動きが硬く、ジャンプに正確さを欠いた。ステップではレベルの取りこぼしもあった。フリー6位に終わった安藤は、SP4位から順位を一つ下げてしまった。


15位に終わった06年トリノ五輪は「失敗ばかり」。バンクーバー五輪を「SPで逃げずに3−3に挑戦できた。フリーも、うまくまとめられた。そういう面では成長したと思う」と振り返った。


そして、14年ソチ五輪への意欲を問われると、「エッ」と言葉を詰まらせた後、「三度目の正直というのも、いいかな……」。2度目の五輪でも、完全燃焼したという充実感は得られなかったようだ。


【栗林創造】


毎日新聞 2010年2月26日 20時17分(最終更新 2月26日 22時04分))


■鈴木選手

鈴木8位「すごく幸せに感じる」


バンクーバー来住哲司】


バンクーバー冬季五輪第14日の25日(日本時間26日)、フィギュアスケート女子フリーが行われ、鈴木明子(邦和スポーツランド)は8位に入り、男子に続いて女子も3人全員が入賞した。


五輪初出場の鈴木は「ウエストサイド物語」の音楽にのり、主役マリアを躍動感たっぷりに踊り切って、8位入賞。3回転フリップが2回転となるミスなども出たが、SPと合計で自己ベストを更新し、「すごく幸せに感じる時間だった」と涙をにじませた。演技前の練習では思った通りに滑れなかったが、「これまでの何十倍もの練習時間を信じよう」と心は折れなかった。最後のステップを踏み終えた瞬間は「これで五輪が終わるなんてもったいない」と余裕も生まれていた。


高校2年の01年、ジュニアのグランプリファイナルで3位に入ったが、東北福祉大へ進学直後に摂食障害となり、47キロだった体重は32キロまで落ちた。それでもフィギュアをあきらめず、23歳で初出場した08年のNHK杯で2位となった。


この日の演技後も「まだ次にチャレンジする部分がある」と意欲は薄れていなかった。【大前仁】


毎日新聞 2010年2月26日 21時18分(最終更新 2月26日 21時55分))



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