バンクーバーオリンピック:男子シングル


とても見ごたえがありました、フィギュアスケート、男子シングルのフリー。安全策をとって、各要素の完成度を高めた演技で優勝したライザチェックの演技、本番に強いし、ステップは高橋と並んで最高難度(レベル4)取ってるし、「凄い」と褒めたいんだけど、、、4回転挑戦なしの選手が金メダルというのは、今後の男子シングル全体の流れを左右しかねないだけに、ちょっと残念です。


いや、ライザチェックも怪我からの復帰なので、別に彼を責めているわけではなく、4回転に挑戦して、成功した人が金メダルを取ってくれた方が、今後の男子フィギュア界のためにはいいのかな、と思っただけなんですが


まあ、もう一方では、4回転ジャンプがなくても、例えば、ステップでレベル4を取り、かつ充分な加点をもらえば、それだけで6点台の点数がもらえる。しかも、ジャンプには転倒があり、点数を確実に稼ぐことが出来ないが、ステップやスピンはある程度、計算してきっちりと点数を加算でき、高得点を重ねる取りこぼしをしないためにも、スピンやステップの要素もレベルアップすることは有用だということを、ライザチェックが示したことにもなるので、それはそれで、好い事なんですが。


メダリストだけではなく、パトリック・チャンも、ランビエールも、ジョニー・ウィアーも、皆自分の持てる力を発揮していて、フィギュアの試合を見て、久々にこみ上げてくるものがありました。選手の皆様、お疲れ様! (そして世界選手権でも良い演技を見せてくださいね!)

五輪フィギュア:高橋が銅 日本男子史上初メダル


バンクーバー来住哲司】


バンクーバー冬季五輪第7日の18日(日本時間19日)、フィギュアスケート男子のフリーが行われ、高橋大輔(23)=関大大学院=が銅メダルを獲得した。日本の男子フィギュア選手では02年ソルトレークシティー大会での本田武史の4位入賞が過去最高で、メダル獲得は初めて。今大会の日本のメダルはスピードスケート男子五百メートル2位の長島圭一郎、3位の加藤条治(ともに日本電産サンキョー)に続いて3個目となった。


高橋はショートプログラム(SP)で自己最高の90.25点を出して首位に0.60点差の3位につけ、フリーでも安定した演技でメダルにつなげた。SP4位の織田信成(22)=関大=はジャンプに失敗した際に靴ひもが切れるアクシデントが響いて7位、同8位の小塚崇彦(20)=トヨタ自動車=は8位。SPトップで前回トリノ五輪覇者のエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)は2位、SP2位で昨季の世界王者、エバン・ライサチェク(米国)が逆転優勝した。


◇4回転ジャンプは失敗 247.23点


ショートプログラム(SP)3位の高橋は、冒頭の4回転ジャンプで失敗したが156.98点をマークし、SPと合計247.23点で銅メダルを獲得した。


SP4位の織田はフリー153.69点で合計238.54点の7位。同8位の小塚はフリーで151.60点を記録し、合計で自己ベストの231.19点の8位だった。


毎日新聞 2010年2月19日 14時06分(最終更新 2月19日 17時44分))


まあ、上でグダグダ書きましたが、今日のライザチェック、素晴らしかったです。長い手足を活かした演技、トリプルートリプルが非常に絵になる。。 そして、彼はステップもスピンも頑張って高レベルの得点を重ねる。総合力で勝った、のが彼の強みかな。 演技・構成点も高い評価をもらっているし、ジャンプのことは置いといて「王者」の風格はもう充分にある選手だと思います。なんか良い意味でゴージャスな感じが漂ってます。

五輪フィギュア:逆転Vのライサチェク、美にこだわり


バンクーバー五輪第7日(18日)


プログラムも終わりに近い時、スピンしながらすでに右手でガッツポーズをしていた。終わると、両こぶしをこん身の力で突き上げること5回。「今夜の演技は最高」。黒い衣装のえり元にヘビの図柄が光ったライサチェクは自分に陶酔しきっていた。そして観客も立ち上がって大声援を送り、支持した。


大舞台でライバルが4回転に挑む中、ライサチェクは回避した。昨年左足アキレスけんを痛めた後遺症で4回転が難しい現実もある。しかし、それよりも「4回転を跳んでも跳ばなくてもクリーンな滑りができたら、そこで違いが出る」との信念を貫いた。


冒頭の3−3を無難にこなすと、すべてのジャンプやスピンのエレメンツ(要素)の一つ一つを正確にこなしていく。総要素点は84・57点でプルシェンコの82.71点を上回った。表現力を示すプログラム構成点が82.80点で両者は同じだったのだから、勝敗を分けたのは大技による上積みではなくクリーンな滑りの積み重ねだった。


万感の思いで米国歌を聞いた。前年の世界選手権の王者が五輪を制したのは84年サラエボ大会のスコット・ハミルトン(米国)以来だ。そんな快挙にライサチェクは「スケートを愛する心を持てたから、ここまできたと思う」と振り返る。大技の追求ではなく、演技に盛り込まれた要素のすべてにこだわったゆえの頂点だった。


【小坂大】


毎日新聞 2010年2月19日 21時34分(最終更新 2月19日 21時50分))


プルシェンコは、まさか、このタイミングで復帰するとは思ってなかったので、ビックリだし、かつ復帰後、いきなりグランプリシリーズ大会での優勝、ヨーロッパチャンピオン、オリンピック銀メダルという成績を収めるとも想像していなかったので、そこまで持ってきた彼の意志の強さには、ひたすら驚くばかりです。


ただ、プログラムについて言うと、、、ちょっとつまらなかったです。ジャンプは豪快、ステップもスピンもそこそこ、そしてかなり踊れる、、、んですが、他の選手と違うのは、プログラム内容に世界観がないこと。器用な選手だけに起用にこなしてしまい、味わい深さ、みたいなものがない印象を受けました。同じロシアのヤグディンはきちんと世界観をもって滑れるんですが。 いろいろな要素が詰っているフィギュアって、難しいです。

五輪フィギュア:プルシェンコ「メダル取れて悪くはない」


52年オスロ五輪のリチャード・バットン(米国)以来の五輪2連覇を逃したプルシェンコは「3年半も大会に出ていなかったのにメダルを取れたのは悪くはないと思う」と淡々と話した。冒頭の4回転をまとめると、次のジャンプへの体力温存のためか、ゆったりと滑っていることが多く、肝心のジャンプも今一つ精彩を欠いた。4回転よりも芸術性に勝機を求めたライサチェクに逆転を許して「彼は素晴らしいスケーター」と認めつつも「このシステム(採点方法)は4回転に価値が置かれていない。フィギュアには必要なのに」とこぼした。


毎日新聞 2010年2月19日 21時22分(最終更新 2月19日 21時48分))

プルシェンコ:悔しい銀に現役続行宣言


【男子フィギュアスケート


最初の4回転−3回転は成功したが、次のトリプルアクセルの着地でバランスを崩した。フィギュアスケート男子の優勝候補だったエフゲニー・プルシェンコ(27=ロシア)はSPこそ1位だったが、フリーでは得点が伸びず結局2位。五輪連覇は達成できなかった。


悔しかったのだろう。表彰式を終えると何度も首を横に振りながらすぐに銀メダルを外してしまった。そして、優勝したライサチェク(米国)への批判とも思えるコメントが口をついて出てきた。「もし五輪の王者が4回転の跳び方を知らないなら、もはやフィギュアではなくただのダンスだ」。トリノ五輪後のブランクは3年半。五輪直前に現役復帰した理由を「この2年間、4回転をできない選手が世界で勝っている。それは耐えがたい状況だった」と語っている。ジャンプが武器のプルシェンコには“跳べない王者”を同列に置くことができなかったのだ。


今大会では開幕前から「休んでいた選手がいきなり優勝していいのか」というムードが漂い「演技点を出し過ぎた悪い例」という審判の研修用DVDには当初、トリノ五輪でのプルシェンコの映像が入っていた。ロシア側の抗議で最終的には削除されたが、この日の演技点は82・80点。ライサチェクと同じで日本の高橋(84・50点)を下回っている数字に、ロシア側は違和感を抱いた。


昨年9月に子連れのテレビプロデューサー、ヤナ・ルドコフスカヤさんと結婚。既に人生の区切りをつけたようにも思えるが「負けてうなだれるようなことはしない」と早くも現役続行を宣言。母国ロシアのソチで迎える自身4度目の五輪は、まさにリベンジの舞台になるだろう。


エフゲニー・プルシェンコ 1982年11月3日、極東ハバロフスク地方のコムソモリスクナアムーレ市郊外にある人口1万4000人の都市型集落、ソルネチヌイ出身の27歳。02年ソルトレークシティー五輪2位、06年トリノ五輪で優勝。世界選手権は3回、欧州選手権は6回、GPファイナルは3回制覇。1メートル76、68キロ。


スポニチ 2010年2月20日


高橋選手は頑張りました。4回転、不調でも飛ぶことに挑戦し続けることが、彼だと思うので、納得の結果だったと思います。おそらく4回転回避して金メダルとっても、「もし4回転飛んで金だったら」と思うと思うし、彼自身、やはり「4回転飛んでその結果金メダル」と思っていると思うので、彼の挑戦は間違ってなかったと思います。


ここらへんの高橋選手の金メダルや4回転へのこだわりは、今発売になっている元コーチのモロゾフ氏の本にも記載されていて面白く読みました。


芸術性(演技力)、そしてステップ、今季からは(怪我の巧妙の)苦手としていたスピンのレベルアップと、、怪我をして1シーズンを棒に降ったことは、実は、遠回りではなく、頂点を目指すことへの近道だったのではないか?と思えるほど、今日の演技にはいろいろと感じるものがありました。おそらくテッペンに登るまで引退はしないと思うので、今後も更なる飛躍を目指して頑張って欲しいと思います。

五輪フィギュア:高橋、4回転への愚直な挑戦が銅呼び込む


意志があるところに道は開ける。高橋は4回転トーループへの愚直な挑戦で道を開いた。4回転は失敗したが、挑み続けたことが銅メダルにつながった。


冒頭の4回転トーループ。果敢に挑んだが、回転不足で派手に転倒した。だが、すぐに立ち上がり、演技を続けた。「失敗した後のリカバリーの練習をしていたので、これ(転倒)をすぐ忘れて次のジャンプのことを考えた」と高橋は明かす。フェデリコ・フェリーニ監督のイタリア名作映画「道」のプログラム。哀愁漂う旅芸人の道化師を、コミカルな動作も交えながら表情を作り、情感を込めて演じきった。


中盤の3−3回転連続は二つ目が回転不足となり、終盤の二つの3回転ルッツはロングエッジ(誤った踏み切り)の疑いと判定された。ミスを重ねた演技だったが、表現力や音楽との調和などを示すプログラム構成点の84・50点は全選手の中で最高。高橋は「理想は4回転を決めてメダルを取ることだった」と残念がったが、これまで試合や練習で4回転に失敗し続けて“転倒慣れ”していたため焦らず、持ち前の表現力を発揮できた。


08年11月の右ひざ手術後のリハビリで足首やひざが柔らかくなり、長光歌子コーチは「エッジに乗る位置が変わり、以前の感覚と違う」と指摘する。今季からスタッフ入りした世界選手権銅メダリスト・本田武史コーチとともに、修正を図ってきた。本田コーチは「僕は遠心力で回る跳び方だが、彼は跳んですぐ回転軸を作るタイプ。でも、4回転の理論は同じ。エッジに乗る位置をみつけ、跳んでから空中のトップまでに2回転するように指導した」と明かす。


前日、前々日の練習では跳べていたが、本番で失敗した。それだけに銅メダルを決めて高橋はうれし涙を流した。「銅メダルはご褒美と思って、次に向けてのモチベーションになる」。日本のエースのプライドを示した挑戦で、新たな歴史が作られた。


【来住哲司】


毎日新聞 2010年2月19日 21時27分(最終更新 2月20日 13時17分))

五輪フィギュア:「ガラスのハート」返上 高橋銅メダル


バンクーバー冬季五輪第7日の18日(日本時間19日)、フィギュアスケート男子のフリーが行われ、高橋大輔(23)=関大大学院=が銅メダルを獲得した。


◇集大成で「鋼の心」


人は変われる、強くなれる。そのことを高橋は教えてくれた。威風堂々とした演技。4年前に「ガラスのハート」と呼ばれた男とは、思えない。


前回トリノ五輪での荒川静香の金メダルが、高橋に大きな夢を与えた。「金メダルを取る瞬間に立ち会えて、すごくかっこいいと思った」と振り返る。自身はSP5位につけながら、フリーは重圧に負け8位に後退した悔しさもあった。「次は金メダルを取る」と誓い、口にし続けてきた。


07年世界選手権で日本男子初の銀メダルを獲得したが、翌年の世界選手権ではフリーでジャンプの回数違反を犯して4位。「回数違反がなければ」と残念がる周囲に対し、「違反がなくても3位でしょ。優勝できなくてすごい悔しいけど、(メダルを取れなかったという)悔しさはそれほどないです」と語った。すでに高橋の目には「金メダル」しか映っていなかった。


08年11月の右ひざ前十字靱帯(じんたい)断裂の手術から復活した今季、その目標がぶれることはなかった。これまで5試合のフリーでは、練習でも成功率の低かった4回転トーループに挑み、失敗し続けた。目前の試合で勝つことより「五輪本番で4回転を跳ぶための練習」と位置づけたためだ。「五輪が近付くにつれ、金メダルは難しいと思っている。でも、目標を下げては絶対に取れない」と言い切った。この日も果敢に4回転に挑んだ。着氷に失敗したが悔いはない。


以前は優しい性格が災いし、本番に弱いタイプ。前回五輪のフリー当日は、昼食で緊張のあまり好物のチョコレートクロワッサンをなかなか食べ終えることができなかった。だが、けがによるブランクとリハビリを経験したことで、精神的に強くなった。


「集大成」と臨み、「金メダル」の夢こそかなわなかったものの、日本男子勢として初のメダル獲得。「鋼の心臓」に生まれ変わった男が、歴史を切り開いた。


【来住哲司】


毎日新聞 2010年2月19日 14時41分(最終更新 2月19日 17時38分))

五輪フィギュア:高橋、悲願の銅…笑顔と努力に周囲は歓喜


「今季一番良かった。パーフェクトではなかったが、やりきった気持ちだった」。パシフィックコロシアムの白いリンクの上。演技を終え両手でガッツポーズを3回繰り返した高橋の笑顔に、だれもが救われた。


冒頭に挑んだ4回転トーループは回転不足で転倒するなど、会心の出来とは言えなかった。それでも充実感に満ちていた高橋。これまでの努力が報われたことを高橋を知る者が心から喜んだからだ。


高橋は周りから愛されてきたスケーターだ。あふれる才能を持ち、「本当に優しくて周りを和ます空気がある」(大学の後輩・織田信成)。質の高い演技でファンの心をつかみ、国内大会での声援の大きさは群を抜く。


4人兄弟の末っ子に生まれ、8歳で岡山県倉敷市の自宅近くのリンクでスケートを始めた。両親が共働きで忙しく、決して裕福だったわけではない。資金のかかるスケートを断念しかけた時期もあった。だが、その才能を惜しむ周囲の関係者が支援した。中学2年の時に出会った長光(ながみつ)歌子コーチ(58)もその一人だ。高橋は高校の時まで週末は兵庫県尼崎市にある長光コーチの自宅で過ごし、関大入学後はそこに転居。同居生活は昨年6月まで続いた。


師弟がこだわってきたのが4回転ジャンプだ。02年のシニア転向後はすべての試合で入れてきた。08年11月の右ひざ前十字靱帯(じんたい)断裂手術から復帰した今季は、感覚がつかめず失敗が続いたが、挑み続けた。高橋は「自分にとって(世界で)勝つために必要なもの」といい、長光コーチは「男の競技なので4回転を入れてほしいという、こちらのわがままでやっている」。教え子の才能を信じるコーチは「涙を流すような演技を見たい。まだ泣かせてもらっていない」としったしてきた。


目標に掲げた金メダルには手が届かなかった。4回転も決まらなかった。それでも高橋は「昨シーズンにけがをして、ここまでたどりつけた。(男子で)日本初のメダルを取れた。それは誇りに思う」とうれしそうだ。


教え子を「世界に誇れるスケーター」とたたえた長光コーチ。「人生でそんなにないんですけど、メダルが決まった瞬間泣いてしまった」と言う高橋に、こうクギを刺した。「私は、また泣けなかった。これじゃ辞められないね」。師弟の世界一への挑戦は、まだ続く。


【来住哲司】


毎日新聞 2010年2月19日 19時50分(最終更新 2月20日 13時17分))


織田選手は残念でした。会社でネットで得点表を見て、ディダクション3点? はて? 3回転倒? その割には、各ジャンプの点数は成功した点数だし、、、とスコア上ではいろいろ「?」が一杯のでしたが、夜演技をみて、その点数に納得しました。


靴紐アクシデントは残念ですが、今日は全体的に元気がなかったですね。丁寧に滑っているようにも見えたのですが、いつもはもっと溌剌としていたような気がするので・・・ やはりオリンピックの大舞台、頑張ればメダルに手が届く位置にいる、というプレッシーが大きかったのでしょうか。

五輪フィギュア:織田、無情 靴ひもアクシデント


コミカルな演技を得意とする異能のスケーター、織田信成(関大)。だが、チャプリン映画メドレーのプログラムで喜劇王にふんし、見る者をうならせることは至難の業だ。バンクーバー冬季五輪・フィギュアスケート男子のフリーで健闘した織田だったが、後半の3回転ジャンプで転倒した際に右足の靴ひもが切れるアクシデントがあり、メダルには届かなかった。


今季開幕前から織田は「フリーは楽しく、心温まるプログラムになる。チャプリンの映画や人生を表したい」と意気込んでいた。勝負の年の五輪シーズンに、なぜチャプリンなのか。母憲子コーチは「以前から(息子とは)『やりたいね』と話していた。苦労している中で笑いを見せる、チャプリンの生き方が好き。本人(織田)に向いていると思った」と説明する。


大阪人らしく明るく、サービス精神旺盛な織田だが、暗い過去もある。戦国武将・織田信長の子孫として有名だが、昔はそのことでいじめられた。子どものころは級友たちに「ちょんまげにしないの」などとからかわれ、高校時代には「武将」というあだ名がついたという。07年夏にはバイクの酒気帯び運転で検挙されて謹慎処分を受け、そのシーズンを棒に振った。「いざ試合に出られなくなると、自分はスケートが好きなんだと気付いた」


チャプリンは映画で喜劇を演じたが、人生では幼年時代に不幸な家庭に育ち、名声を得てからも、その作風が共産主義的と非難されて米国を離れるなど、不遇の時期が長い。彼の映画や人生をDVDなどで学んだ織田は「彼には悲しい一面もある。生き方に感銘を受けた。自分の人生に重なるとまでは考えないが、彼のようにもっと前向きに頑張ろうと思う」と勇気を得た。「信長の子孫と聞いて、プレッシャーになったことはない。むしろ奮起の材料にしてきた」という。


氷上に作り上げる、時に観客の笑いを誘う「織田ワールド」。つらいことや重圧を乗り越えてきた織田に、「チャプリン・メドレー」は合っていた。だが、日本フィギュア界の新たな歴史を切り開く栄光のプログラムとは、ならなかった。


【来住哲司】


毎日新聞 2010年2月19日 14時27分(最終更新 2月19日 17時39分))

五輪フィギュア:織田、涙で「自分の責任」靴ひも切れ中断


バンクーバー小坂大】


喜劇王」がアクシデントに泣いた。18日(日本時間19日)のバンクーバー五輪フィギュアスケート男子。チャプリン・メドレーに乗って演技をした織田信成選手(22)=関大=は、演技中に右足靴ひもが切れて中断したことが響いて7位。メダル獲得の夢は果たせなかった。「ショックが大きく言葉にならない」と織田選手。語るその目は真っ赤だった。


演技前から靴ひもは切れていたという。だが「感覚が変わると困るから、切れたところをくくってやっていた」と織田選手。足先のわずかな感覚の変化を嫌ったが、それは裏目に出た。


演技の終盤まで何とか靴ひもは維持した。だが最後のジャンプ、3回転ループの着氷が乱れて手をついた瞬間、異変が起こった。「(残った演技要素は)スピンなので、ここまで跳べば(靴に負担がかからずに)行けると思ったけど、全部ほどけた」。審判に自ら中断を申し出、結び直すための中断で減点された。


織田選手自身も「練習であるけど、試合ではない」と話すように、大舞台でこの種のアクシデントは珍しい。五輪では、94年リレハンメル大会フィギュア女子でハーディング選手(米国)が演技中に突然泣き出し「靴ひもが切れた」とアピールしたことが記憶に残る。また92年バルセロナ夏季大会のマラソン男子で谷口浩美選手が転倒したはずみなどで靴が脱げ、履き直している間に優勝争いから脱落した。


当時32歳の谷口選手は「こけちゃいました」と笑みで名言を残したが、この日の織田選手は引きつった顔で「自分の責任です」と言った後に泣き出し、言葉が続かなくなった。さらに滑走順が優勝したライサチェク選手(米国)の直後で「歓声を聞いて足がすくんでしまった」とも。勝負の中でどうにもならないことに対処するには織田選手は若く、ひたむき過ぎたのだろう。


ひもを直してリンクに戻った時、観客は手拍子で迎えた。温かい励ましを受け、織田選手は最後まで演技をやり遂げた。「お客さんに助けられた。反省して頑張っていきたい」。失敗を胸に刻み、4年後の舞台を目指す。


毎日新聞 2010年2月19日 19時26分(最終更新 2月20日 13時20分))


小塚君は頑張りました。今大会では、日本人選手唯一の4回転成功者。切れのよいジャンプ、質のよいスケーティング、そして清々しいクリーンなイメージが彼の持ち味だと思うので、それを今後はもっと突き詰めていって欲しいと思います。次回オリンピックでの活躍が楽しみです。

五輪フィギュア:小塚が健闘 4回転が自信に


バンクーバー冬季五輪第7日の18日(日本時間19日)行われたフィギュアスケート男子のフリーで、小塚崇彦(20)=トヨタ自動車=が好演技で自己ベスト(230.78点)更新の231.19点をマーク。冒頭に4回転トーループに挑んで着氷し、減点されたものの4回転と認定された。後半にトリプルアクセル(3回転半)で転倒するミスは犯したが、大きなミスはそれだけ。昨年2月に同じ会場であった4大陸選手権では、4回転は認定されたものの転倒しており、国際大会で4回転を降りたのは初めて。演技後は「『今まで何で降りられなかったのか』と思った」と苦笑し、今後に向け大きな自信となった様子。「緊張でSPもフリーも胃が痛くなりそうだった」というが、五輪の重圧を乗り越えた。


毎日新聞 2010年2月19日 15時08分)



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