北京オリンピック: 水泳 男子平泳ぎ200M


競泳 男子平泳ぎの北島選手は100Mに続き、200Mでも金。2大会連続2種目制覇、というのはすごい記録です。200Mについては、北島選手の一人勝ちといった感じで、誰が優勝のするかではなく、世界新記録を樹立できるかどうかというところにレースの焦点があったような気がします。


何はともあれ、北島選手、おめでとう&お疲れ様!

北島の2大会連続2冠、日本競泳史上初


北京五輪第7日の14日、競泳で4種目の決勝があり、男子200メートル平泳ぎで、北島康介(25)=日本コカ・コーラ=が、自己の世界記録に0秒13と迫る2分7秒64の五輪新記録で2大会連続の金メダルを獲得した。2位に1秒以上の差をつける圧勝だった。100メートル平泳ぎも2連覇しており、日本の競泳史上初めて2大会連続2冠を達成した。五輪の200メートル平泳ぎの2連覇は、28年アムステルダム、32年ロサンゼルスの両大会を制した鶴田義行以来2人目。今大会の日本勢の金メダルは計5個になった。


日本勢で最も多く金メダルを獲得した選手は体操男子の加藤沢男で8個(団体競技での金を含む)。体操を除いた競技では北島の4個が最多となった。


体操男子個人総合決勝では、19歳の内村航平日体大)が銀メダルを獲得。冨田洋之セントラルスポーツ)は4位だった。


競泳女子200メートルバタフライ決勝でアテネ五輪銅メダルの中西悠子枚方SS)は2分7秒32で5位。女子800メートルリレー決勝で日本は7位だった。


柔道は男子100キロ級の鈴木桂治(平成管財)、女子78キロ級の中沢さえ(綜合警備保障)がともに初戦で敗れた。初戦を落とした野球の日本は1次リーグ第2戦で台湾と対戦(日本時間午後8時開始)。


朝日新聞 2008年8月14日14時44分)

北島、極めた強さ 「専門家集団」知恵・技の結晶


ライバルを寄せ付けない圧倒的な強さと安定感を見せつけた勝利だった。男子競泳の北島康介(25)が14日の200メートル平泳ぎでも金メダルをとった。世界新記録はならなかったが、アテネに続く2種目連覇だ。「北京で最高の自分を表現したかった」。周囲で支えた「チーム北島」プロジェクトの集大成にもなった。


50メートルのターンのあとは一度もトップを譲らなかった。圧倒的な差を付けてのゴール。だが、タイムを見て世界記録でなかったことを確認すると、「ふーっ」と大きく息を吐いた。ガッツポーズにあまり笑顔はなく、ちょっと首をかしげた。


それでも、プールサイドに上がってからは、大歓声に沸く観客席に向かい、指で「1番」と示し、手を上げて応えた。


「自分1人ではここまでこられなかったんで、この喜びをみなさんと分かち合えてうれしいです」


表彰を終え、プールを一周。赤い花束を観客席に投げ込み、バルセロナ五輪金メダリストの岩崎恭子さん(30)が驚いた顔で受け取った。


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「チーム北島」。目がギラギラした14歳の少年が水泳の才能を見いだされてから12年。平井伯昌(のりまさ)コーチ(45)の周りに集まった専門家集団は、「世界一」の泳者に育てるため、知恵と技術を出し合った。


筋力トレーニング、泳法解析、トレーナーの専門家らだ。中心的存在は、日本体育大学助教の岩原文彦さん(36)で、レース戦略の助言や身体能力の数値計測を担当する。この日も観客席から、ビデオカメラに撮りながら北島の泳ぎをみつめた。


06年4月の日本選手権。北島の泳ぎがしっくりこない。岩原さんは群馬県の大学に勤める動作解析の専門家に電話した。「テレビを録画して見てもらえないか」。手足の動きのずれについて即座に指摘の電話が入った。岩原さんは平井コーチに伝えた。


チームといっても、北島に常に同行するわけではない。できる範囲内でかかわる。岩原さん自身も運動生理学の研究者だ。大学まで自由形個人メドレーの選手だった。


マッサージ担当の小沢邦彦さんは東京都豊島区で自分の店を持つ。名門高校の水泳選手だった。筋力トレーニング担当の田村尚之さんは国立スポーツ科学センター(JISS)の指導員で、岩原さんの元同僚だ。


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岩原さん自身は当初、北島が世界一になれるとは思っていなかった。体力的にずば抜けていたわけではない。平泳ぎに大切な、ひざの曲げ伸ばしに使う筋肉の力は平均よりも弱かった。


ところが、99年6月に高地練習で渡米した際、「この子は強くなる」と確信できたという。厳しい練習で、16歳だった北島は食事も満足に取れずにやせた。泣き言は一切口にしなかった。「気持ちが強い」。平井コーチが入れ込む理由が分かったという。


チームのメンバーを結びつけるものは夢だ。


田村さんはボディービルの選手を目指していた。岩原さんや小沢さんは自身も水泳での五輪出場を夢見ていた。


岩原さんは言う。「康介に夢を託していたのかもしれない」「ベストは出なかったが、ライバルがいない中でよく頑張った。いろいろきついことも言ってきたが、おめでとうの一言だ」(岡田健、池田孝昭)


朝日新聞 2008年8月14日18時53分)

北島、連続2冠で引退…第2の人生へ


有終の2冠! 男子200メートル平泳ぎ決勝で、北島康介(25)=日本コカ・コーラ=が2分7秒64の五輪新記録で金メダルを獲得した。100平に続く「金メダル&世界新」のダブル快挙は逃したものの、日本競泳界初の2大会連続の2冠を達成。五輪史上に大きな足跡を残した日本のエースは、今大会限りで引退する考えを明らかにした。


日の丸が揺れる。歓声がとどろく。力強く、美しい北島のフォームはもはや極みに達していた。


先頭を1度も譲らないままゴール。2位に1秒24の大差をつけての圧勝だ。ブレントンリカード(豪州)らの追撃を体半分のリードでかわし、右手の人さし指を誇らしげに立てた。


「サイコーに気持ちよく泳げた。来ている人の顔が見えるくらい楽しめましたよ」


やはり日本のエースは強かった。連続2冠の重圧のかかる200決勝でこの強さ。高速水着レーザー・レーサー」の威力を存分に引き出した。優勝タイムは2分7秒64。電光掲示板には「OR」(五輪新記録)の2文字。以前なら「チョー気持ちいい!!」と叫ぶところだが、『世界の蛙王』は志の高さが違う。


「記録は期待していたから、ちょっとね。こんなもんかと。思ったより最後は伸びなかった」


五輪史に残る偉業を達成したというのに、不満の色すら浮かぶ。100に続き「金メダル&世界新」のダブル快挙を狙っていたからだ。自身の世界記録2分7秒51には0秒13及ばなかった。それでも、金メダルの輝きには一片の曇りもない。


表彰式後、メダルを胸に場内を1周。応援団を見つけると、花束を投げ込んだ。これが偶然にもキャッチした人を介して92年バルセロナ五輪女子200平金メダルの岩崎恭子さんの手元へ。北島が五輪にあこがれるきっかけをくれた人物だ。目の前では銅メダルのユーグ・デュボス(フランス)が恋人と熱烈なキス。北島の胸中に、祭りの後の寂しさがよぎる。


選手村に向かう送迎バスに乗り込む前だった。北島は自らの去就について、口を開いた。


「ここ(北京)に入る前から寂しい気持ちがありました。その(引退する)つもりでやってきている」


引退を口にした。3度の五輪出場で金メダル4個。もう望むものはない。平井伯昌コーチ(45)も教え子の心中を察した。「この先、周囲の期待に100%応えるのは難しい。次(12年ロンドン大会)は30歳」。そろそろ第2の人生に舵を切るときだ。


アテネ五輪後、親しい関係者には引退後のプランを語っている。


「スポーツ選手のマネジメントをしたい」


北島は競泳界唯一のプロスイマー。05年に日本コカ・コーラと所属契約を結び本格的に活動を始めた。周囲には大学に残ることを勧める声もあったが、「練習にも遠征にもお金がいる。それを企業や大学に迷惑をかけてやるのはイヤ」と意志は固かった。後に続く若いスイマーのパイオニアになりたい気持ちが強かった。これからは自身の経験を伝えることが、新たな使命となりそうだ。


2大会連続2冠の偉業を果たし、第2の人生へ一歩を踏み出す25歳。17日決勝の男子400メートルメドレーリレーでは第2泳者を務める。本気で泳ぐ最後のレースだ。


サンケイスポーツ 2008年8月15日 07時44分)