シュルレアリスムと美術−イメージとリアリティーをめぐって

caltec2007-11-22



展示品の多くが日本の美術館収蔵の作品であり、海外の企画展の日本展開ではなく、独自に企画を立てて開催された展覧会であることが好印象だった。


横浜美術館のHPによると・・・

シュルレアリスム(超現実主義)は、1920年前後にフランス文学からはじまった芸術・文化運動です。それは美術や思想、社会の様々な領域へとひろがり、今日のわたしたちのものの見方や感じ方に強い影響を及ぼしています。


美術にとってシュルレアリスムとは何だったのでしょうか。この展覧会は、シュルレアリスムと出会うことで美術に何が起こったのか、それが私たちにどうつながっているのかを考えようとするものです。


シュルレアリスムが美術にもたらした最大のインパクトは、「イメージの力」の再発見だといえるでしょう。目の前にあるものをただ写すのではなく、心のスクリーンに映し出されるイメージを忠実に写し取る、新次元のリアリズム。シュルレアリスムの美術が呼び覚ますイメージは、私たちの眠っていた想像力を解き放ち、思いがけない意味の発見へと導いてくれます。“もの”と“もの”、人と“もの”、人と人を結びつけるイメージの力。今日のメディア社会の原動力になったともいえるイメージ・パワーの実験者たちに迫ります。


展覧会は、第I章「シュルレアリスム美術の胎動」、第II章「シュルレアリスムが開くイメージ」、第III章「シュルレアリスム出現以後の様々なイメージ」で構成されます。シュルレアリスム運動に参加した美術家だけでなく、デ・キリコやダダの作品、広告美術、さらにアンフォルメルアルテ・ポーヴェラ等の戦後の西洋美術、草間彌生奈良美智ら現代の日本美術まで、作品総数125点をひとつの時間軸に並べます。


中心を占める第II章では、80余点の作品を「イメージが訪れる」、「反物語−お話しにまとまらないイメージ」、「風景」、「女と愛」、「物と命」、「神話と魔術」、「時空の彼方に」の7節に分けて展示。シュルレアリスムの美術に特有なイメージの成り立ち方とテーマによる分類です。これらのテーマは今日の広告や映像文化の中にもしっかりと受け継がれています。


イメージは現代の日常生活に深く浸透して人々にはたらきかけ、私たちもそのはたらきに思考や消費行動の基準をゆだねるようになっています。こうした状況を考えるとき、かつて想像力の解放をうたったシュルレアリスムのイメージを信頼できるものにしているのは何か、と問う必要があるのではないでしょうか。結びつけることと解放すること。イメージがはらむ相反する力のどちらを発揮させるのか、その判断は私たちひとりひとりの手にゆだねられているのです。


シュルレアリズムを多角的に捉えることができるよう、全体を3部構成に分け(各部でも節に分かれている)て展示しているのだが、残念なのは、各章の説明文がはっきり言うと難解でわかりづらい点だ。シュルレアリスム運動のリーダーであり「帝王」であったアンドレ・ブルトン の詩や「シュルレアリスム宣言」の文言からシュルレアリズムが目指している思想が語られているのだが、平易な言葉ではあるものの、そのコンセプト・思想自体がわかりづらいのだ。


展覧会の鑑賞者の表情を眺めてみたが、皆一様に眉間にしわを寄せ、「?」が一杯の表情で各章の説明文を読んでいるように思えた。作品自体はそのような深い思想を抜きにしても「摩訶不思議な」作品として鑑賞できるだけに、その解説で語られたシュルレアリズムの思想と、実際に目にする展示作品との関連性を探るのが、なかなか骨が折れた。


特に第三章の「シュルレアリスム出現以後の様々なイメージ」で展示された現代アートについては、新たなイメージの創出を目指す現代アートそのものがイメージからの脱却になるので、特にシュルレアリズムとのダイレクトな関係はないのかな?という印象を受けた。シュルレアリズムの運動があった流れの延長で現代アートはある。言い変えれば、シュルレアリズムという運動を経験した歴史を踏まえて現代のアートの動きがある、ということだとは思うのだが、それは特に取り立てて説明し、展示する意味があるのか?と考えると、「否」という気が個人的にするからだ。


目の前の現実を映すのではなく、心の中にあるイメージを写し取ることが、実は、固定概念などのイメージからの脱却であり、現実を超えた超現実である(と展覧会の説明を読む限りは理解した)、というシュルレアリズムの思想自体が理解できないので、個人的に「?」だったのかもしれません。


固定概念のイメージから脱却したところで、自分の中にあるイメージからは開放されはしないし、何よりシュルレアリズムというイメージ(概念)から脱却することはできないのだから、結局はあるイメージに縛られることになる。いや、むしろ逆にイメージに縛られすぎてしまうのではいか?。。。といろいろ考えてしまいました。考えても考えても理解できないのがcaltecにとってのシュルレアリズムなのかもしれない。


ただ、この各章の説明文にシュルレアリズムの概念が示されていたおかげで、思想・運動としてのシュルレアリズムが目指したものと、シュルレアリズムとして括られる作品との関連性が見えてきた点は良かったと思う(思想そのものは理解できはしないものの、表現したいことの方向性は理解できた)。個人的にはやはり、マグリットとエルンストの作品が良かった。


企画力  :★★★☆☆
展示方法 :★★★☆☆
作品充実度:★★★☆☆
満足度  :★★☆☆☆