北京オリンピック: 競泳 男子100M平泳ぎ

caltec2008-08-11



餃子事件や、チベット問題など、オリンピック以外のところでネガティブイメージが付いてしまったためか、イマイチ盛り上がりにかけていた北京オリンピックですが、2日連続の金メダルにだんだんと盛り上がってくる気配が感じられてきました。caltecは、実は、リアルタイムで競泳、男子100M平泳ぎの決勝を見てました。


北島選手と並んで、バドミントン女子ダブルスの末綱&前田組も、大健闘、今日はcaltecはテレビの前でウルウルしっぱなしでした。

北島、驚異的記録で2冠へ加速=北京五輪第4日


北京五輪第4日の11日、競泳男子100メートル平泳ぎ決勝で、北島康介(25)=日本コカ・コーラ=がマークした58秒91の世界新は、史上初めて58秒台に突入する驚異的な記録だった。2大会連続の2冠に向けて大きく前進した北島は、12日夜に200メートル平泳ぎ予選に登場する。


北島は通算5回目の世界新樹立で、ブレンダン・ハンセン(米国)が持っていた世界記録を0秒22更新した。通算3個の金メダルは競泳の日本勢で最多。9日の予選は59秒52、10日の準決勝は59秒55で、ともに全体の2位通過だったが、決勝は会心の泳ぎ。後半に追い上げて、鮮やかに逆転した。


ほかの競技では、バドミントンは女子ダブルス準々決勝で、末綱聡子前田美順(みゆき)組(NEC・SKY)が04年アテネ大会金メダルの中国ペアを破る金星を挙げ、日本勢初の準決勝(13日)へ進出。しかし小椋久美子潮田玲子組(三洋電機)は第2シードの中国ペアに敗れた。


射撃のクレー女子トラップでは中山由起枝日立建機)が4位入賞。フェンシングでは女子フルーレ個人の菅原智恵子(宮城ク)が7位に入り、男女通じて個人種目で初の入賞を果たした。バレーボール女子1次リーグで日本はベネズエラを下し、1勝1敗とした。

 
競泳では男子200メートル自由形奥村幸大イトマンSS)が1分46秒44、男子100メートル背泳ぎの宮下純一ホリプロ)が53秒69の日本新を、ともにマークして決勝へ進んだ。


朝日新聞 2008年8月12日3時1分)


50Mのターンを終えた後、グイグイと前に出てくる北島選手の泳ぎは、何者をも恐れず、真っ直ぐに記録のみを追い求める選手のそれであるように思えた。


泣いていた。勝利した後の、インタビューにも彼はすぐに答えず、そして噛締めるようにこう言った。「アテネより気持いい」。アテネオリンピックの「チョー気持いい」が素直に喜びを表した言葉だとしたら、今回の北京での金メダルに対する彼のコメントはどういう気持を表現したものなのだろうか。


ホッとしたのではないかと、僕は思った。口には出せなかったが、この4年間、ずっと戦ってきた自分との戦いに勝った、その安堵感があの、インタビュー直後の涙であり、彼の本音であるように感じたのだ。


4年間、世界の第一人者として周りから期待され、耐えてきたプレッシャーの重さ、なかなか練習で思う結果が出せなかったという焦り、そうしたものを乗り越え、掴んだ、その金の重さはアテネの何倍もあることだと思う。


連覇の北島 挫折、突き放され、つかんだ頂点


挫折から、五輪史上初となる男子100メートル平泳ぎ2連覇のストーリーは始まった。


「もう1回同じ場所に立てた喜びがあるんです」


06年7月上旬、のどを痛めて入院した。2冠を果たした04年アテネ五輪以降、虚脱感に苦しみ、体調を崩した。


「やめたい」と友人にこぼし、スタッフの一人からは「やめたら」と突き放された。頼りにしていた平井伯昌コーチは、8月の国際大会の直前合宿のため、チームメートを連れて先に出国した。


北島は一人、復活の道筋を考えた。「前向きに考えよう。チャレンジしていこう」


アテネ前から続くひじやひざの不安があった。アテネ後はライバルのブレンダン・ハンセン(米)に連戦連敗だった。昨年は太ももの肉離れに襲われ、今年はフォームを改造して肩を痛めた。北京では準決勝でダーレオーエンノルウェー)に0秒39の差をつけられた。


いくつもの逆境を乗り越え、頂点に返り咲いた。


「以前の僕とは違う。故障しないまま突っ走っていたら、今の自分はなかった」


2連覇した北島を、天才というのはやさしい。だが挫折はいつもあった。


平井コーチとの歩みも、挫折から始まった。中学2年で見いだされたが、直後に体育の授業で骨折。指導を受けるのを翌年まで待った。


体が硬く、体力測定も平均以下だった。「チーム平井」の参謀役、岩原文彦・日体大助教は平井コーチに尋ねたことがある。「どうして康介なのですか」


評価されたのは、素直に努力する姿勢だった。


アテネ以降の北島はオフに水泳教室を開き、子供に頑張る大切さを伝えた。代表合宿で脳科学などの講義にも熱心に耳を傾けた。


「世界で戦うには、泳ぐだけではだめ。子供から応援されると、頑張らなければ、となる。『これはいらない』と思う講義でも、自分で考えることが大切」


少年時代に平井コーチから授かった教えも守っている。「誰からも好かれろ」


金メダリストになっても、率先して練習後のかたづけをした。トレーナーの加藤明生さんは「いつもきちんとお礼を言ってくる」。大会では仲間のために声をからした。


05年世界選手権男子200メートル平泳ぎの銅メダリストで、4月に引退した今村元気さんは言う。「康介のことを悪く言う人を見たことがない」


だから、口べたでも競泳陣の主将に選ばれた。


競泳日本選手最多となる3個目の金。


アテネより気持ちいい。(前人未到の)58秒台を出せたから、自分の中で喜んでもいいと思う。充実感でいっぱいです」


世界記録を持つ200メートルで、集大成の泳ぎを目指す。(由利英明)


朝日新聞 2008年8月11日19時14分)