2007年4月



とうとうバッテリーの最終巻が文庫本で発売に。ラストにふさわしく、全体的に凛と澄んだ中にも硬質でキラリと光る、そんな文体で書かれていた気がします。


最終巻では、文章を紡いでいく(語っていく)登場人物が頻繁に変わるので、注意して読まないと、誰の心情が語られているのかわかりづらくなっている点と、明らかに14〜5の少年ではなく大人の視点で書かれすぎている点が気になりました。僕が中学生の頃、そんな複眼的にいろんなことを考えていたのか?と問われてると、NOなんですが。。。女性の方が精神的に早く大人になるからかもしれません(作者のあさのさんは女性なので)


まあ、以上は、あまりにもこの作品が良すぎるために、敢えて苦言を呈すれば、、ということなので。


豪も巧も門脇も、他者との関わりや、自分の意志を貫くことの難しさに直面しながらも、この巻では、彼らなりの自分で納得できる答えを見出して、ラストシーンの横手VS新田東の試合に臨んでいくことになる、その描き方が上手いなあ、と唸らされました。

 捕るんだ。あいつが投げ続ける限り、おれも捕り続ける。決めたのだ。自分で決めた。
他人からすれば、ぼんやりと惚けているようにしか、苛立ち荒んでいるようにしか見えなかっただろう時間の中で、豪は繰り返し繰り返し自問し、答えを探り、手を伸ばし、もがいてきた。
 何を望んでいる。
 何が欲しい。
 誰とどう、生きていきたい。
 おれは、今、何を誰を求めている。
 目標、理想、夢。そんなありふれた軽い言葉じゃなく、自分の深奥にある欲望や想いに、向かい合ってきた。向かい合わされた。
 そして、自分で決めた。自分にしか決めることのできないことだ。決めて、マスクをかぶり、ミットを構えた。
 あいつが投げ続ける限り、おれも捕り続ける。


これは天才ピッチャー巧のバッテリー、豪の台詞ですが、豪をはじめ、皆、投げること、捕ること、打つこと、野球を続けること、に対して彼らなりの意義を見出し、自問自動し、悩んだ末に自分のなかで決着をし、ラストシーンへと向かっていく。その潔さや青臭さに昔の自分を重ねてしまいました。何か懸けるものがあるってのは、いいなあ、とつくづく思います。