2007年1月
- 作者: 林真理子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2007/01/10
- メディア: 文庫
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女性の心理を書かせたら、この人の右に出る人はいない、と思っている林真理子の作品。特に相対的に自分の価値を見極めそれを最大限に活用しようとする、女性特有の「厭らしさ」(と敢えて言うが)を語らせたら天下一品だと思う。
例えば、それは宝塚娘役千花に対する、萌の心情のこのような記述だ。
とても美しい女と、ちょっと綺麗な女。自分たちのコンビはとてもいい。美人といつもいる女が、かなりみじめなレベルだったら、見ている者がつらくなる。美しくない方の女がどれほどの劣等感や屈折を持つだろうと、勝手に邪推するのだ。それだけではない、こういう女といつも一緒にいる美人の方の心根をも疑われる。
けれど自分のレベルだったら、千花とはよく似合う。二人を観察し、かなり差があると判断される前に、
「二人の綺麗な女がいる」
という印象をまわりの人々に与え、ふわふわとした幸福な空気をあたりにつくるのだ。(p.79)
どちらかというと男性が夢や目標に向かって一心不乱に突き進んでいくのと対照的に、彼女の小説に出てくる女性たちは、自分を客観的に見つめ、今置かれた状況の中で自分たちがベストだと思える幸福を手にすることを求めているように思える。そしてその手に入れた幸せも、はやり他者と自分を比較することで、その優位性を保とうという心理が働いているようにも思えるのだ。
宝塚を退団した元仲間は、しょっちゅう楽屋に遊びにやってくる。青春を共に過ごした仲間に会いたいのはもちろんだろうが、今の自分の生活を披露する目的もあるのだろう。
みんながみんな、というわけではないが、早めに退団した娘たちは、たいてい良縁に恵まれている。まるで後輩たちに、お手本を示すかのように、彼女たちはしょっちゅうやってくる。
「宝塚は辞め時が肝心なのよ。ぐずぐずしていたらおばあちゃんになっちゃわ。そしてどこかのミュージカルの端役に出る人生しか残っていないわ。ねえ、そんなのは嫌よねぇ……」
子供の手を引いてやってくる女たちは、たえずそんなメッセージを流しているかのようだ。(p.233-234)
いつも思うのは、途中の展開はすごくおもしろいのだが、ラストへ至る展開が急なのと、とても想像もつかない着地点で終わってしまうことだ。まあ、彼女の作品にその点は求めていないのだけれど。