トリノオリンピック

caltec2006-02-22



注目のフィギュアスケート、男子シングルフリー。日本期待の高橋大輔ですが、結果は8位でした。やはりプレッシャーなのかな、ジャンプの失敗は置いておいたとしても、彼本来が持っているステップやスピン、つなぎのスケーティングなどについては、もっと高いパフォーマンスを出来たはず。それが結果としてレベル4→レベル2などのレベルダウンにつながり、技術点が思ったほどに出なかった、というのが今回の敗因だと思います。


来年の出場枠がかかる世界選手権へは高橋ではなく織田が出場するため、彼の今季の国際舞台はこれが最後となります。彼の演技が今季の世界舞台ではもう見られないのは残念ですが、オリンピック:高橋、世界選手権:織田という選択は間違っていないと個人的には思います。


世界選手権の結果により、来年度の世界選手権の出場枠が決まるため、決まると好成績でも失敗の可能性も高い高橋よりも、大舞台に強く、安定性・確実性のある織田を派遣するというのは戦略的にも正しいと思います。ましてや全日本選手権での勝負も僅差であったのだから。本来なら2名派遣できれば、オリンピックの舞台で高橋にかかるプレッシャー度合も減り、8位という結果とはまた違う順位になったのかもしれません。


高橋悔し8位重圧に沈む、最初の4回転ジャンプ転倒

[ 02月17日 17時05分 ]


トリノ16日=久保武司


大舞台の重圧に高橋もまた耐えられなかった…。フィギュアスケート男子は16日、フリー演技が行われ、日本からただ1人出場した高橋大輔(19)は、最初の4回転ジャンプで転倒するなど得点が伸びず、ショートプログラム(SP)5位から順位を落とし、8位に終わった。日本人男子フィギュアの初のメダル獲得はならず、今大会の日本勢の初メダルもお預けとなった。優勝は前回銀メダリストのプルシェンコ(ロシア)で、SPに続きフリーでも最高点をマーク、圧勝した。


「僕は世界選手権でも最終グループに入ったことがありません。雰囲気に慣れてなかった。やっぱり違います…」。日本勢が不振を極めるなか、メダル獲得というプレッシャーも高橋には重くのしかかった。


14日のSPで1番滑走、この日のフリーでは24人中最後の演技。SPで1番滑走の緊張を経験して「楽になった」と話していたが、ライバルたちの高得点の演技を目の当たりにし、「スタートするまでは緊張してなかったけど、ポジションをとったら急に緊張して、体が動かなくなってしまった」。


演技開始前の練習では、軽やかな動きを披露。長光歌子コーチも「よく動いていた。練習では世界のトップだと思う」と話していたが、SPで断トツのプルシェンコはともかく、メダル争い圏内だったランビエール(スイス)や、SPで高橋よりも下位だったバトル(カナダ)にまで高得点を出され、「4回転を決めなくては…」と、楽になるどころか緊張が増幅した。


最初に飛んだ4回転ジャンプで転倒。次の3回転ジャンプでも着氷が乱れるなど、序盤は随所で動きが硬い。中盤からは3回転ルッツ→3回転トーループのコンビネーションを決めるなど、本来の動きを取り戻したが、テクニカルの採点では、3回転以上のジャンプは2種類までで、それ以上のジャンプは減点対象。それでも「点数がつかないと分かっていたけど、どうしようもなかった」と、3種類以上のジャンプを飛んでしまった。結局、持てる力をすべて発揮することなく、高橋の最初の五輪は終わった。


4人兄弟の末っ子。兄3人が少林寺拳法をやっていたのに対し、高橋は8歳のときに、相手と直接対決がないフィギュアスケートを選んだ。高校1年で出場した02年の世界ジュニア選手権で優勝。日本人初の快挙に「10年に1度の天才スケーター」といわれたが、世界のトップに躍り出る道を妨げたのは、「ガラスの心臓」といわれた気の弱さだった。


トリノ五輪では、現在通う関西大学の後輩、織田信成(18)と、最後まで日本代表の座を争ったが、その代表枠を1つに減らしたのも、昨年の世界選手権で高橋自身が15位という成績をとったことが原因。気の弱さは身体についていかず、常に付きまとっていた。


14日のSP後、フィギュアスケート日本代表の城田憲子監督から、「ガラス(の心臓)を強化ガラスにすれば大丈夫」とゲキを飛ばされ、「防弾ガラスにします」と冗談で返すなど、気の弱さは払拭されたような発言もしていただけに…。


長光コーチは「最終滑走で逃げずに攻めた結果」と評価したが、高橋自身は締めくくりに不本意でうれしさはない。「不満がいっぱいです。いろいろ勉強になった五輪でした。次からはもっと強くなった高橋大輔でいきたい」“ガラスの強化”は、次回バンクーバー大会への課題として、持ち越しとなった