トップランナー


NHKトップランナーを見る。今日の内容はずいぶんと示唆に富んだものだった。今回のゲストは映画プロデューサー、李鳳宇。番組のHPによる彼のプロフィールは次のとおりだ。

2000年『シュリ』、2001年『JSA』そして2004年の『殺人の追憶『スキャンダル』に2005年『マラソン』など話題作を次々配給、現在の韓流ブームの火付け役ともいえる存在。在日コリアンとして育ち、朝鮮大学校を卒業後パリに留学。89年、映画の配給会社を立ち上げる。93年映画プロデューサーとして、『月はどっちに出ている』を製作、国内の映画賞を総ナメにした。その後も阪本順二監督の『KT』『ビリケン』・井筒和幸監督の『ゲロッパ』『パッチギ』、是枝裕和監督の『誰も知らない』などの話題作を手掛けている。


番組を見ていて感じたのは、彼のアイデンティティー(在日朝鮮人2世として京都に生を受けた)がいい意味で彼のこれまでの活動の軸になっていたのだなあ、ということだ。僕はこの番組を観るまで知らなかったのだが、韓流ブームのきっかけ(韓流のブレイクは、冬ソナのヨン様ブームだと思うが)を作ったとも言える「シュリ」などの韓国映画を日本に配給していたのが彼、李鳳宇だ。彼のこれまでの活動は、日本と韓国の映画の懸け橋であったと言っても良い。


彼の映画好きは、高校生の頃にさかのぼるという。彼が影響を受けたのはフランス映画。一般的にハリウッド映画と比べ、フランス映画は盛り上がりに欠け、難解である、というイメージがあるが、彼はそのフランス映画の難しさに惹かれたという。彼の日常世界の乖離が大きければ大きいほど、嫌な現実を忘れることができる、ということだろうか?大学卒業後、パリに留学したが、パリでは映画ばかり見て暮らし、半年後に日本に帰国、その後、映画で生計を立てることを決意し、フランス映画を主に配給する会社を設立したことから彼の映画プロデューサーとしての活動が始まっていく。フランス映画ではなかなかヒットしなかったが、韓国の映画を扱うことにより彼の会社の規模も拡大、業界における李の存在も大きくなる。


そんな彼が外国映画配給で学んだことがひとつあるという。それは「良い映画だからといって必ずしも売れるわけではない」ということ。たいして面白い映画ではない外国映画がヒットしているという、現実。これは映画が売れるには、映画のクオリティーよりもその映画の宣伝費であったり、話題性であったりといったことがヒットの最大要因である、と言いたいのだろう。


それは日本映画について彼がかたるところでより明確になる。日本の映画で、映画らしい映画は少ないと李は語る。日本でヒットする映画の多くは、原作がベストセラーだったり、テレビ局が制作に絡んでいたり、人気がある役者を起用していたり、という作品外の力が大きく働き、映画そのもののクオリティーでヒットしているわけではない。なので、日本でヒットした映画が必ずしも海外でヒットするわけではなく、そうしたヒットする映画を主に日本では製作しているため、世界というマーケットでは日本映画は通用しない。映画を愛する李としては、このような現状を憂い、本当に映画らしい映画を自らプロデュースしていきたいというのだろう。
現在は配給だけではなく、自らプロデューサーとして映画の製作を行う彼の決意がそこに見て取れる。


韓国の映画を日本に紹介していくという役割は終え、今度は日本映画を韓国に、そして世界に紹介していくことを次の使命とするようだ。まずその第一弾として、ソウルに複数の映画館を建てるという。そしてそのうち1館は日本映画専門の映画館にしたいと語っていた。彼がプロデュースする「映画らしい」日本映画を是非観てみたい。